歴史の証拠
要約
このページは歴史の証拠のそれぞれの結びを持っています。
ニーファイ人の歴史はリーハイとその身内がエルサレムの地から脱出した時から始まります。それは、紀元前600年でした。(参照:第三ニーファイ1:1)紀元前約590年に彼らは九州に到着しました。ニーファイ人の歴史は凡そ紀元後421年に彼らの全滅のために終わります。(モロナイ書10:1)
日本記紀によると、神武天皇は紀元前660年に日本の王朝を樹立しました。記紀の口述は正確さに欠けますが、この年表についてはニーファイ人の歴史と一致しています。
モルモン書の日付の方は記紀より正確です。
族長の預言者リーハイと神武天皇は同一人物でした。
ラバンとエウカシは同一人物でした、そしてゾーラムとオトウカシも同一人物でした。
預言者ニーファイと綏靖天皇は同一人物でした。
熊襲は預言者リーハイ(神武天皇)と彼の身内の子孫でした。
ニーファイ人の集団が関西の地方に移住した後、その集団の王(崇神天皇)は奈良に首都を築きました。しかしながら、日本の歴史(口承で記録された記紀の歴史)とモルモン書の歴史の記録には大きなずれが見られます。それらの歴史の違いを一つに結びつける手がかりは十分にあります。次の表は日本の紀元の歴史の一覧です。
モルモン書のガデアントン強盗は土蜘蛛でした。
紀元前約19年に大飢饉は日本で発生しました。その飢饉は凡そ三年間続きました。その自然災害はモルモン書と記紀の中に記されました。
1.モルモン書も日本書紀も「常闇」の参照があります。
2.下記のバイブルの一節の中にイエスは「この囲いにいない他の羊」を訪ねることに言及しました。 「他の羊」はエルサレムに住まない人々でした。その人々は紀元後約34年に北九州にいるニーファイ人でした。
16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。
ジョハネによる福音書10:16
聖書(日本聖書協会2001年)
3.一番目の事実は、イエス・キリストが救い主であったこと。イエス・キリストの死、そして復活したこと。さらにイエス・キリストがニーファイ人の中に降臨したこと。そのニーファイ人はアブラハムの子孫であったこと。すなわちマナセの子孫であったということ。
二番目の事実は、真実の教会についてです。イエス・キリストが異邦人の中で彼の教会を設立ことの事実。ジョセフ・スミスがモルモン書を出版する以前には真実のキリスト教は滅亡していました。ジョセフ・スミスは、ニーファイ人が残した完全なるキリスト教の真実の版を、最も信用性があるものと確信し、そしてさらに、そのキリスト教の真の事実を世に知らせるべく末日イエス・キリスト教会を設立しました。
予言者モルモンと熊之凝は同一人物でした。
王朝臣と武内宿禰は同一人物でした。
モルモン書と記紀はニーファイ人の最後の偉大な戦闘を描写しています。
神様は日本の歴史を御案内しています。
モルモン書も記紀も両方とも三種の神器を言いました。その中にも類似があります。
キリスト聖徒が聖書を日本に紹介する以前に、すでに、日本人は旧約聖書を持っていました。しかしながら、時代の変化に連れて、その旧約聖書を持っている日本人の記録は失いました。
ニーファイ人の千年の日本における歴史は図一に描写されています。
歴史の証拠十六. 預言者リーハイの東方の旅路
紀元前600年に、預言者リーハイと彼の氏族は、約束の地のためにエルサレムを離れました。 彼らは紀元前588年に九州の南端に到着しました。この旅路は上記の図三と図四に描写されました。