モルモン書と日本の古史

著者:パーシャル・テリー

紹介

yoshinogari.org         紹介  地理  考古学  歴史

 




作者紹介

    私はアメリカのワシントン州で産まれました。両親は敬虔なモルモン教会員でした。私が成長する過程で両親と教会員から指導を受けました。その指導の中で特に、洗礼についてと、按手と聖霊についてバイブルとモルモン書の教義から学びました。それらはモルモン教会員に成るために、重要で大切な儀式です。1969年から1971年まで、モルモンの伝道師としてドイツに赴任され伝導しました。その後同じモルモンの教会員の美しい女性と出会い結婚しました。四人の子供に恵まれ充実した生活を営んでいます。

    ある夜、私は睡眠中に嘗てない不思議な夢をみました。その夢の中で、説教者が指揮台の後ろで語っていました。私は観客の中にいました。説教者はこう言いました:「このモルモン書の解釈を知ったら、貴方達は息を飲むことでしよう。」そこで私は目が覚めました。目が覚めた後でも、はっきりと私の脳裏に記憶として残りました。その後、その夢が何を意味していたのか気に掛かっていましたので、その夢を見た日付をノートに記録しました。その日付は2002年3月6日でした。

    さらに、翌年の2003年8月25日に、私は再び不思議な体験をしました。それは念願が叶って妻と一緒に日本と中国を訪れていた時でした。(私は数年前から日本人の先生の元で日本語の勉強をしています。彼女もモルモン教会員であるということを、後で知りました。偶然とは言え驚きました。私が立ち上げたこれらのウエブサイトと書物は彼女の協力無しでは完成しませんでした。)

    私たちは東京見物を楽しんでいました。上野公園の中にある東京国立博物館にも立ち寄りました。とても大きな博物館での展示物は興味深いものが沢山展示してありました。旅の疲れが出たのか、途中で疲れてしまい、館内にあるベンチに座って少しウトウトしてしまいました。すると、男の人の声がすぐそばで聞こえました。その声の主は英語でこう言いました。「古代日本の聖なる文献。」私は目を覚まし、あたりを見まわしましたが、私の周りには誰もいませんでした。そしてその言葉が鮮明に私の脳裏に焼き付いてはなれませんでした。数年たってもその言葉が脳裏から離れませんでした。

    2005年11月28日のことでした。私は再び同じような不思議な体験をしました。それは息子をサンフランシスコの近くにあるバークレーまで車で送り届けた後でした。私はロサンゼルスの近郊にある自宅まで戻る長い距離の運転中にiPodの中に入力してある音楽を聞きながら帰路に着いていました。初めに「モルモン書の物語」が流れ始めました。その音楽はモルモンの子供の歌でしかも日本語で歌っていました。それは私にとって印象的な出来事でした。その時私は日本の子供達が日本の歴史について、私に語りかけているように思えました。(この歌は「モルモン書と日本の古史」のYouTubeのチャンネルで聞こえます。)

    これら三つの不思議な現象はただの偶然とは思えなくなりました。私はこの象徴的な体験を強く感じ始めました。それらの暗示が何を意味しているのかを知りたくなりました。そこでその印象的な体験を忘れる前に研究を開始しました。先ず、モルモンの教義と古代日本の聖なる文献には関連した暗示が隠されているのではないかというところから取りかかりました。

    まず初めに、モルモン書の全てのページに記録されている地理を調べ始めました。それと同時に日本の地理(そして他の太平洋の中の島々、例えばフィリピンやインドネシア、なぜならば約束の地は島でしたから)をグーグルを用いて調べました。上記はモルモン書の中で大ざっぱな説明をしている「約束の地」の地図です。私は、この時点で実際の約束の地がどこであるのかはまだ周知していませんが、モルモン書で描写している地理は、恐らく上記のような地形をしていると思いました。その結果日本の地理の本州と、九州、そして筑後川などが私が描いた地図と合致しました。

    その膨大な記録と実際の地理を比較するためには忍耐と長い年月を要しました。そしてついに、両方の地理の接点を発見しました。それはモルモン書の中のアルマ書22章で記録されている特定の場所が日本の九州の場所と一致しているという発見でした。

    この時、私の驚きは言葉に表せないほどの衝撃を受けました。その時から以前に受けた印象的な体験が現実のものとなりました。この発見を機会に私の研究は本格的に始まりました。地理の発見の後、私はグーグルを用いて古代日本の文献を調べ始めました。調べている間にとても興味深い部分を発見しました。それはアメリカ人の歴史家が述べている部分でした。彼は日本の初期の天皇は他の国から東に行って日本に渡来した後に、日本を征伐したと述べていました。モルモン書の中にも彼が述べていることと同じ記録が描かれています。その人物とはエルサレムから東の方角(約束の地)ヘ渡って来た預言者リーハイでした。この偶然の発見は私をより一層研究を強く続けることに成りました。さらに、古代日本の文献が古事記と日本書記から成っているということを発見しました。早速、英語の古事記と日本書記の本を入手しました。それらの本を読みながらモルモン書のどこの章と接点があるのかを注意しながら読み始めました。その接点を発見するための時間は膨大なものでした。忍耐を要する研究を少しづつ前進しながら続けました。その結果、双方の記録の中に歴史の証拠の接点を少しづつ発見していきました。その研究を進めていく中で吉野ヶ里遺跡に着目をしました。

    地理の証拠と歴史の証拠、そして考古学の証拠を記録するためにこれらの文献を日本語で書き始めました。なぜならばこの真実の出来事を初めに日本人の方々に報告するのが賢明と思ったからです。この研究は私の人生の中でとても重要な位置付けと成りました。この「モルモン書と日本の古史」の書はその研究の結果です。 この本は時の試練に立証されるでしょう。

 この本はあなたが古代日本の歴史をひも解くうえで、十分に立証されることを願っています。本書の内容の多くは、最初にウェブサイトwww.yoshinogari.orgで2012年12月12日に出版されました。日付は、イスラエルの12部族を称えるために選びました。バイブルとモルモン書両方ともに最後の日々の時期の中でイスラエルの十二部族が回復されることを預言しています。日本の古代の人々の歴史の証拠を紹介しているこの本は、モルモン書を通して解釈されたものです。本書に記載されているように、日本の君主を含む日本国民の多くはマナセのイスラエル部族に属していた預言者リーハイの子孫です。

 私の編集者である計子ホーラックさんに感謝します。彼女の励ましと支援なしではこの本を完成することはできませんでした。さらに、歴史の証拠九にある大神降臨の重要な情報を指摘しました。

 最後に私の妻であるキャシーに心からのありがとうを言いたい。この本を完成するために研究を続けていた数年間、彼女の理解と忍耐無しには完成できませんでした。ここに感謝の意を表します。

パーシャル・テリー

2015年1月28日


問答

1.質問;「モルモン書と日本の古史」の本は何ですか?

答: これは、モルモン書が古代日本の歴史であるという大規模な証拠(地理、考古学的、歴史的)を提供する文書です。 PDFのコピーはwww.yoshinogari.org上で無料でダウンロードが可能です。

2.質問:モルモン書は何ですか?

答:エルサレムから移住し、約束の地に島国を設立した古代ユダヤ人の枝分から記録した宗教史。この本は最初に、1830年3月28日にアメリカのニューヨーク州で印刷されました。

3.質問;ジョセフ・スミスは誰ですか?

答:神の霊感によって1829年に古代の記録から英語にモルモン書を翻訳した、偉大なアメリカの預言者(1805年から1844年)。

4.質問;モルモンは誰ですか?

答:古代の島国の人々の生活の記録を残した人物が預言者モルモンです。モルモンによって編集されたその記録はジョセフ·スミスによって翻訳されモルモン書として出版されました。

5.質問;末日聖徒イエスキリスト教会は何ですか?

答:回復されたイエスキリストの教会は、ジョセフ·スミスが1830年に設立しました。イエスキリストの教会の責任は、イスラエルの部族が最後の日に集まり神によって与えられました。

6.質問:いつ、どのようにして​​「モルモン書と日本の古史」は初出版されましたか?

答:2012年12月12日にhttp://www.yoshinogari.org/上で初出版されました。

7. 質問:なぜ日付が2012年12月12日であることが重要ですか?

答:それはこの新しい千年間のイスラエルの12部族の集まりを象徴しています。

8. 質問:「モルモン書と日本の古史」の文献はモルモン教会によって認められましたか?

答:モルモン教会は「モルモン書と日本の古史」についての声明を述べていません。預言者ジョセフ·スミスはモルモン書がアメリカの古代歴史を描写していると信じていました。現今においても、モルモン教会は同様にそれを信じています。しかしジョセフ·スミスにモルモン書を明らかにした天使モロナイの訪問についての最古の記述は1832年にありました。それはジョセフ·スミス自身が手書きしたものでした。彼が手書きした記録には、アメリカについて、何も触れていませんでした1。古代歴史については言及されていましたが、その歴史の舞台がどこであったのかは不明でした。さらに、モルモン書に於いても、アメリカがその古代歴史の舞台であったとは言及していません。私はこれらの不鮮明な記録に着目し、研究を開始しました。その結果、不鮮明であった歴史の舞台は、驚いたことに日本の古代歴史の中にあったことを発見しました。本書はそれらの新事実を追及した記録からなりたっています。



紹介

そして、幾日も航海した後、わたしたちは約束の地に着いた。そして陸に上がって天幕を張り、そこを約束の地と名付けた。

ニーファイ第一書18:23

紀元前約五百九十年

(預言者ニーファイの言葉)



しかし、わたしたちはいろいろな苦難に遭ったにもかかわらず、約束の地を手に入れた。これはほかのあらゆる地に勝ったえり抜きの地であって、主なる神がわたしの子孫の受け継ぎの地としてわたしに聖約してくださった地である。まことに、主はこの地を、わたしやわたしの子孫にとこしえに下さると聖約され、また主の御手によってほかの国々から導かれて来るすべての人にも与えると聖約された。

ニーファイ第ニ書1:5

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る

(預言者レーハイの言葉)



見よ、わたしは今、死者の中から語っているかのようにあなたがたに述べている。わたしはあなたがたが将来、わたしの言葉を手に入れることを知っているからである。

モルモン書9:30

紀元約四百一年から四百二十一年に至る

(預言者モロナイの言葉)



驚愕の新事実

    この文献の本題はモルモン書で記録、そして記述されている内容について、私なりの視点から研究し、発見した驚愕の新事実について記録されたものです。その新事実の研究は三部門の証拠から成り立っています。それらは地理、考古学、そして歴史の知られざる新事実の証拠です。文献の冒頭はモルモン書のタイトルページから始まります。


「モルモンがニーファイの版から取って

自分の手で別の版に書き記した記録

     したがってこれは、ニーファイの民とレーマン人についての記録を短くまとめたものである。――イスラエルの家の残りの者であるレーマン人、ならびにユダヤ人と異邦人にあてて書き記されたもの――戒めにより、また預言と啓示の霊により書き記されたもの――書き記され、封じられ、主に託して隠され、損なわれることのないようにされたもの――神の賜物と力によりもたらされ、翻訳されるもの――定められたときに異邦人によって伝わるように、モロナイの手により封じられ、主に託して隠されたもの――また、神の賜物により翻訳されるものである。

  これには、エテル書から取って短くまとめたものも含まれている。エテル書はヤレドの民の記録であり、ヤレドの民は主が民の言語を乱されたとき、すなわち民が天に達しようと一つの塔を建てていたときに散らされた人々である。――これはイスラエルの家の残りの者に、主が彼らの先祖のためにどのような偉大なことを行われたかを示すものであり、また、彼らはとこしえに捨てられないという主の聖約を、彼らに分かるように示すものである。――また、ユダヤ人と異邦人に、イエスがキリストであり、永遠の神であり、すべての国民に御自身を現されることを確信させるものである。――ところで、もし誤りがあるとすれば、それは人の犯した間違いである。したがって、キリストの裁きの座で染みがないと認められるために、神にかかわるものを非難しないようにしなさい。


 諸版よりの英語への原訳 ジョセフ・スミス・ジュニア英文初版発行千八百三十年アメリカ合衆国ニューヨーク州パルマイラ(町)



    上記の一節は、既にモルモン会員の読者の方々には周知のことと思います。これはニーファイ人が残した原文の版をモルモンが受け取った後に、その貴重な記録を新たに別な版に短縮して書き移し残しました。その新しい版に、モルモンは彼の視点から歴史の記録を引き続き書き残しました。 後世に、預言者ジョセフ・スミス・ジュニアは神の力によってその記録を手に入れることが出来ました。モルモンが残した記録は、預言者ジョセフ・スミスによって英語に翻訳され、モルモン書として出版されました。その預言者ジョセフ・スミスは末日聖徒イエス・クリスト教会の創設者として、後世に名を残しました。1830年にモルモン書が出版されましたがモルモン書と日本の古記の歴史の関係については、その当時、ジョセフ・スミスには見当もつきませんでした。 凡そ200年が経過した現在でも、ニーファイ人が残した版の記録、そしてモルモンが書き移れ残した版の歴史は、今だにその背景が鮮明に解明されていません。特筆すると、モルモン書で記述されている地理は実際には、アメリカ本土のどの地域にも該当しません。そして今だに、そこがどこであったのか、解明されていません。さらに考古学者が研究したアメリカの考古学の証拠は、モルモン書で紹介されている情報とは相反しています。日本の初期の歴史の証拠である古事記と日本書紀(記紀)には、モルモン書で記録されている多数の歴史の証拠がこれら古事記と日本書紀の中で発見できます。地理、考古学、そして歴史に至るまで、驚くべきことに、日本の初期の歴史と該当するのです。

    モルモン書の全文を日本の古書と照合し、比較研究することは決して容易なことではありません。しかしながら私の研究で得た貴重な情報は要約しながらも、確実に紹介しています。

    初めに、モルモン書の主要な歴史は、紀元前600年から紀元後421年にあります。この時期の歴史は預言者リーハイ(イスラエル人)という族長と彼の民の子孫の物語から成っています。次に、リーハイの子孫はレーマン人とニーファイ人と呼ばれた部族に分裂しました。(その時期、日本の弥生時代に当たります。)彼等は主に日本の九州地方に住んでいました。

    さらに、モルモン書の中にあるエテル書ではもう一つの集団部族が記述されています。それはヤレド人という部族でした。彼等は日本の縄文の文化の中期から晩期(凡そ紀元前3100年から570年に至る)まで、主に日本の本州に住んでいました。

    私の研究の全容の情報は、第一部.地理の証拠、第二部.考古学の証拠、そして第三部.歴史の証拠で紹介しています。

    最後に、私の研究で発見したモルモン書の歴史の証拠と日本の古記の歴史の証拠の合致点の驚愕の新事実を、日本のモルモン会員の方々、並びにすべての日本の方々に発信します。この新事実を多くの会員の方々にご理解いただけるのが、私の研究の使命であり、喜びであります。

    さらなる世界のモルモン会員の方々、ならびにすべての国々の人々のご理解が広がり、その多くの方々を通してさらなる発信がされることを願っています。この研究の全ては私の使命であると確信しています。




補注

1 モルモン書は“plates of gold upon which there was engravings  which was engraven by Maroni & his fathers the servants  of the living God in ancient days and deposited by th[e] commandments of God and kept by the power thereof” 」、参照:http://josephsmithpapers.org/paperSummary/history-circa-summer-1832?p=1#!/paperSummary/history-circa-summer-1832&p=2

この参照はモルモン書を指す。ニーファイ第一書はモルモン書からの引用です。

それらの節とともに普通はそれらの記録された日付を取り上げています。それらの日付もモルモン書の中で見つけられます。

 注釈:このモルモン書はモルモン書からの引用です。

 しかし、第一の六つの書(ニーファイ第一書からオムナイ書)は短縮しませんでした。モルモンの言葉から第四ニーファイの書は短縮しました。これらの版はモルモンの息子モロナイが記した記録を含みます。すなわちモルモン書第八、第九の章、エテル書、そしてモロナイ書です。

その時、ジョセフ・スミスは二十四歳でした。彼の学校教育は三年間でした。しかしながら、彼は独学で勉強を重ねていました。彼のその時期には、古事記と日本書紀の英語の翻訳は存在していませんでした。故に、彼が日本の地理と歴史、そして考古学に至るまでについて知る由もありませんでした。(この文献の中で紹介している、第二部の考古学の証拠は比較的最近に発見されました。)ジョセフ・スミスはモルモン書がアメリカの古史の記録だと信じていました。(今でも末日聖徒イエス・キリスト教会員はその概要に従っています。)



付録一.モルモン書の歴史学上の記録


複写一.日本語の2009年版






複写二.英語のモルモン書の1972年版のタイトルページ






複写三.英語のモルモン書の出版された歴史






複写四.英語のモルモン書の1972年版の目次






付録二. 穴戸の説明、本居宣長の古事記伝の複写













付録三.書誌学

1)モルモン書(英語)

オンラインで「http://www.lds.org/scriptures/bofm?lang=eng


2)モルモン書(日本語)

オンラインで「http://www.lds.org/scriptures/bofm?lang=jpn


3)古事記

ISBN 978-4-309-40699-2

河出文庫

福永武彦(訳)

二00三年八月二0日    初版発行

二0一0年四月三0日    14刷発行


4)日本書紀(上)

ISBN 4-06-0158833-8

講談社学術文庫

宇治谷 孟(訳)

1988年 6月10日 第1刷発行

2010年 9月21日 第50刷発行


5)日本書紀(二)

ISBN 4-00-300042-0

岩波文庫

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(校註)

1994年 10月17日 第1刷発行

2010年  3月15日 第17刷発行


6)日本書紀(英語)

ISBN 978-0-8048-3674-6

ISBN 978-4-8053-1020-5 (日本だけ)

Nihongi, Chronicles of Japan from the Earliest Times to A.D. 697

Translated from the Original Chinese and Japanese by W. G. Aston, C.M.G.

Tuttle Publishing, c. 1972


7)古事記伝

校訂古事記傳    本居宣長   

吉川弘文館

東京

大正十年一月二十日 五版印

オンラインで「http://archive.org

Ktei Kojiki den (Volume 1−7) - Motoori, Norinaga, 1730-1801

(http://archive.org/details/kteikojikiden04motouoft)


8)Mormon’s Map (モルモンの地図)

ISBN 0-934893-48-9

c. 2000, John L. Sorenson

The Foundation for Ancient Research and Mormon Studies (FARMS) at Brigham Young University

Provo, Utah