歴史の証拠三
首が打ち落とされた物語
時期:紀元前約600年
紹介
この物語には六つの類似点があります。モルモン書と記紀の参照が下記にあります。 参照の最後にその類似点の意味を説明します。
参照
1. 預言者リーハイの東方旅路と神武天皇の東方征伐の物語の中の物語
この物語はモルモン書の ニーファイ第一書1:4に含まれています。そしてそれは日本書記(上)のP.96−97( 宇治谷 孟(訳))と古事記のP.166−170( 福永武彦(訳)P.158。)の中に同じような物語を発見することが出来ます。
あります。
2. ラバンのユダの王国とエウカシの宇陀の県は同じ所でした
ラバン:
紀元前役六百年にエルサレムはユダの王国の中央でした
4 さて、ユダの王ゼデキヤの統治第一年の初めに(父リーハイは生まれてこのかたエルサレムに住んでいた)、その同じ年に多くの預言者が現れて、民に向かい、悔い改めなければ大きな都のエルサレムは滅ぼされるに違いないと預言した。
ニーファイ第一書1:4
紀元前約六百年
預言者リーハイの息子たちはラバンの記録を得ることが命じられました
1 さて、わたしニーファイは、主と話をしてから父の天幕に帰った。
2 そこで父は、わたしに次のように言った。「見よ、わたしは夢を見た。その夢の中で主は、あなたと兄たちをエルサレムに戻らせるようにわたしに命じられた。
3 それは見よ、ラバンがユダヤ人の記録とわたしの先祖の系図を持っているからであって、それらは真鍮の版に刻まれている。
4 それで主はわたしに、あなたとあなたの兄たちがラバンの家へ行ってその記録を何とか手に入れ、それを荒れ野の中のここまで持って来るように命じられたのである。
ニーファイ第一書3:1−4
紀元前約六百年
エウカシ:
[P.96]兄猾と弟猾を呼ばれた。この二人の人は宇陀の県の人々のかしらである。 ところが、 兄猾はやってこなかったが、弟猾は、やってきた。そして軍門を拝んで申し上げるには、[兄、兄猾の悪い計画は、天孫がおいでになると聞いて、兵を率いて襲わんとしています。
日本書紀(上)
宇治谷 孟(訳)P.96
[P.166]この宇陀の地には、 兄字迦斯・弟字迦斯と呼ぶ二人の兄弟が頑張っていた。そこでまずヤタガラスを使いに出して、二人の者に[今、天神の御子が、このところにお出ましになった。お前たちはお仕え申すか、どうだ?]このように訊いた。これに対して兄のウカシは、唸をあげて空を飛ぶ鏑矢を手にして、使のヤタガラスを持ち受け、矢を放って多い返してしまった。それうえ、この鏑矢の落ちたところを、訶夫羅前という。そのうえで、東上してきた御子の軍隊を迎え撃とうと、檄を飛ばして軍隊を駆り集めたが、いっこうに味方につく者がなかった。
古事記
福永武彦(訳)P.166
3. ラバン(エウカシ)について
ラバン:
31 天 使が立ち去ってから、レーマンとレムエルはまたもつぶやき始め、こう言った。「主がどのようにして、ラバンを我々の手に渡すことができるというのか。見よ、ラバンは力のある人で、五十人を指揮することができるし、まことに、五十人を殺すことさえできる。それならば、どうして我々を殺せないわけがあろうか。」
ニーファイ第一書3:31
紀元前約六百年
1 さて、わたしは兄たちに言った。「わたしたちはまたエルサレムへ上って行きましょう。そして、主の命令を忠実に守りましょう。まことに、主は全地にも増して力ある御方なのですから、どうしてラバンとその家来の五十人よりも力が劣ることがあるでしょうか。いや、ラバンに何万人あっても主の力にはかないません。
ニーファイ第一書4:1
紀元前約六百年
エウカシ:
上記の類似点2.記紀の参照を使います。
4. ラバンの召使い(エウカシの弟)について
ラバン:
35 さて、ゾーラムは、わたしの語った言葉を聞いて勇気を得た。ところで、ゾーラムとはこの召し使いの名である。彼は荒れ野へ下って行って、わたしの父のところへ行くと約束した。そしてまた、その先わたしたちとともに住むと誓った。
ニーファイ第一書4:35
紀元前約六百年
エウカシ:
上記の類似点2.記紀の参照を使います。
5.預言者リーハイの使者と神武天皇の使者
上記の類似点2.モルモン書と記紀の参照を使います。
6. 預言者リーハイの依頼と神武天皇の依頼
ラバン:
24 さて、わたしたちはラバンのところに行って、金や銀やすべての貴重品を渡す代わりに、真鍮の版に刻まれた記録をわたしたちに譲ってくれるように頼んだ。
ニーファイ第一書3:24
紀元前約六百年
エウカシ:
上記の類似点2.記紀の参照を使います。
7. ラバンの反応とエウカシの反応
ラバン:
25 そこで、ラバンはわたしたちの持っているものを目にし、しかもそれが大したものであるのを見て、欲しくてたまらなくなった。それで彼は、わたしたちを追い出し、わたしたちの持っているものを自分のものにするために、召し使いにわたしたちを殺させようとした。
ニーファイ第一書3:25
紀元前約六百年
エウカシ:
上記の類似点2.記紀の参照を使います。
8. ラバンとエウカシが自身の武器で殺されました
ラバン:
17 さらにわたしは、この理由、すなわち、わたしが主の命令に従ってあの記録を手に入れることができるようにという理由で、主がラバンをわたしの手に渡されたことを知っていた。
18 それでわたしは御霊の声に従い、ラバンの髪の毛をつかみ、ラバン自身の剣で彼の首を打ち落とした。
ニーファイ第一書4:17−18
紀元前約六百年
エウカシ:
[P.96]「お前が造った部屋に、自分ではいるがよい」といって剣を構え、弓をつがえて中へ追いつめた。兄猾は天をあざむいたので、言いのがれすることもできない。自ら仕掛けに落ちて圧死した。その屍を引き出して斬ると、流れる血はくるぶしを理める程に溢れた。
日本書紀(上)
宇治谷 孟(訳)P.96
[P.168]エウカシは進退きわまり、自分で作っておいた押機に、自分からかかって、打たれて死んだ。その死骸を引き出して、斬り刻んだ。
古事記
福永武彦(訳)P.168
9. ラバンとエウカシが首が打ち落とされました
上記の類似点8.参照を使います。
10. ゾーラムとオトウカシの運命の類似点
ラバンの召使いゾーラム:
ラバンの死後に召し使いだったゾーラムは預言者リーハイの一行に加入しました
30 そして、ラバンの召し使いは、兄たちを見ておののき始め、わたしの前から逃げてエルサレムの都へ帰ろうとした。
31 しかしわたしニーファイは、身の丈が高いうえに主から強い力を授かっていたので、ラバンの召し使いを捕まえて、逃げないように押さえつけた。
32 そしてわたしは、わたしの言うことに聞き従うならば、主が生きておられ、またわたしが生きているように確かに、わたしたちの言うことに聞き従うならば、命を助けてやると言った。
33 また、恐れるには及ばないこと、そしてもしわたしたちと荒れ野へ下って行くならば、わたしたちと同様に自由の身になることを、まことに誓って言った 。
34 わたしはまた言った。「主は確かに、このことを行うようにわたしたちに命じられた。わたしたちは主の命令を熱心に守るべきではないか。もしあなたが荒れ野へ下って、わたしの父のところへ行くならば、わたしたちとともに暮らせるだろう。」
35 さて、ゾーラムは、わたしの語った言葉を聞いて勇気を得た。ところで、ゾーラムとはこの召し使いの名である。彼は荒れ野へ下って行って、わたしの父のところへ行くと約束した。そしてまた、その先わたしたちとともに住むと誓った。
36 ところでわたしたちには、ゾーラムが行動を共にすることを願う理由があった。それは、わたしたちが荒れ野へ逃げたことをユダヤ人に知られ、追いかけられて殺されることのないようにするためであった。
37 さて、ゾーラムがわたしたちに誓ったので、彼についての心配はなくなった。
38 そこでわたしたちは、真鍮の版を持ち、ラバンの召し使いを連れて荒れ野へ出発し、父の天幕に向かって旅路を進んだ。
ニーファイ第一書4:30−38
紀元前約六百年
7 さて、わたしニーファイは、イシマエルの娘の一人を妻にめとり、兄たちもまた、イシマエルの娘たちを妻にめとった。そしてゾーラムも、イシマエルの長女を妻にめとった。
ニーファイ第一書16:7
紀元前約六百年
30 さて、ゾーラムよ、わたしはあなたに告げる。見よ、あなたはラバンの僕であったが、エルサレムの地から連れて来られた。わたしはあなたが息子ニーファイにとって、とこしえに真の友であることを知っている。
31 したがって、あなたが忠実であったので、あなたの子孫はニーファイの子孫とともに祝福を受けて、長くこの地の面に住んで栄えるであろう。そしてあなたの子孫の中で罪悪が行われないかぎり、この地の面で栄えるのを損なったり阻害したりする者は、とこしえにないであろう。
32 それで、あなたがたが主の命令に従うならば、主はこの地を聖別し、あなたの子孫をわたしの息子の子孫とともに、安全に守ってくださるであろう。」
ニーファイ第二書1:30−32
紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る
ほぼ五百年後にゾーラムには約束の地に子孫がいました
23 わたしはアモロンであって、おまえの先祖によって無理やりにエルサレムから連れ出されたゾーラムの子孫である。
アルマ書54:23
紀元前約 六十三 年
エウカシの弟オトウカシ
[P.98]その時弟猾がまた申し上げるのに、「倭の国の磯城邑に、磯城の八十梟帥がいます。また葛城邑に、赤銅の八十梟帥がいます。この者たちは皆天皇にそむき、戦おうとしています。手前は天皇のために案じます。今、天の香具山の赤土をとって平瓦をつくり、天神地祗をお祀り下さい。それから敵を討たれたら討ち払いやすいでしょう」と。
日本書紀(上)
宇治谷 孟(訳)P.98
[P.109]また弟猾に猛田邑を与えられた。それで猛田県主という。これは宇陀の主水部の先祖である。
日本書紀(上)
宇治谷 孟(訳)P.109
[P.170]このまたオトウカシは、宇陀の水部の部の先祖である。
古事記
福永武彦(訳)P.170
説明
これらの歴史の中の物語に出て来る人物の類似点を紹介したいと思います。それは、モルモン書のラバンという男性とその召使いゾーラム、そして、記紀のエウカシとその弟オトウカシです。
預言者リーハイ:この物語によると預言者リーハイと彼の家族はエルサレムを去った後にも、しばらくはその地の外れに住んでいました。リーハイはそこで夢を見ました。その夢の内容は:主が息子たちをエルサレムに戻るように命じました。リーハイの一番下の息子ニーファイと兄弟はエルサレムに戻りました。さらに、神様はリーハイにユダヤ人の歴史書をラバンから獲得することも命じました。そこで、リーハイは神のお告げに従って、彼の息子達をエルサレムに戻しました。
その時、ニーファイは最年少にも関わらず実力のある指導者でした。リーハイは息子たちを使者としてラバンの家に送り、その記録を獲得するように命じました。その記録には現在のバイブルの旧約聖書の部分が記載されていました。神様の目的は、その記録を約束の地へ持って行くことを願っていることでした、そして、それは彼の子孫のためでした。しかしながら、ラバンは息子達にその歴史書を渡すことを拒んだだけでなく、彼等を殺そうとしました。危険を感じた息子達は逃亡しましたが、兄弟の中の一人のニーファイは、果敢にも一人でラバンの家へ戻りました。そこでラバンが酔いつぶれて、地面に倒れていたのを発見しました。ニーファイは御霊の声を聞きました。彼を殺すようにと。そこで、ニーファイは酔いつぶれているラバンの剣を使って、彼の首を打ち落としました。そして、ラバンの召使いゾーラムに彼等と一緒に預言者リーハイの野営地へ来る事を強いました。説得の結果、ゾーラムは預言者リーハイと一緒に約束の地へと旅しました。
神武天皇:記紀の符合する物語はエウカシとオトウカシについてです。古事記と日本書紀の解釈には少しずれがあります。ここでは日本書紀の解釈を使います。神武天皇はエウカシとオトウカシを呼び寄せました。しかしエウカシは断りました。オトウカシは神武天皇にエウカシが背いたと伝えました。そして神武天皇を罠に掛ける用意をしていると警告しました。しかし神武天皇はそのエウカシを罠に掛けそして首を打ち落としました。その後にオトウカシは神武天皇と一緒に東方征伐に出ました。
以下はそれらの物語の類似点を説明しています。 それぞれの参照は上記にあります。
1. 預言者リーハイの東方旅路と神武天皇の東方征伐の物語の中の物語
最初の類似点はこの物語がそれぞれのリーハイの歴史と神武天皇の歴史の中にあります。
2. ラバンのユダの王国とエウカシの宇陀の県は同じ所でした
ラバンはユダの王国に住んでいました。そしてエウカシは宇陀の県に住んでいました。「ユダ」と「ウダ」の発音は似通っています。それらは同じ語源から来ていると思われます。先ず「ユダ」のヘブライ語の実際の発音は元来「イェフダ」のようです。そして私たちは「ユダ」はもちろんヘブライ語の「イェフダ」から来ている事を知っています。同じく宇陀の「ウダ」も「イェフダ」から来ていると思われます。ですからそのイェフダの故国である王国は時の流れと口伝の不正確さのために宇陀と言う発音に成なったと考えられます。エルサレムはイェフダの古都でした。
3. ラバン(エウカシ)について
この上記の一節によると彼は司令官でした。
4.ラバンの召使い(エウカシの弟)について
両方の物語の中には男性が二人いました。一方の男性には権力がありました。その男性はモルモン書の中で伝えているゾーラムの主人であるラバンでした。そして、記紀で伝えているエウカシはオトウカシの兄で権力がありましたがオトウカシには力がありませんでした。
5.預言者リーハイの使者と神武天皇の使者
預言者リーハイは自分の息子たちを使者としてラバンの家に送りました。
神武天皇は宇陀県にいる兄弟にヤタガラスを使者として送りました。(記紀によるとヤタガラスは賀茂建角身命の化身でした。)
6.預言者リーハイの依頼と神武天皇の依頼
預言者リーハイの依頼はラバンが持っているユダヤ人の記録を入手することでした。
神武天皇の依頼は(エウカシとオトウカシに対して言い及ぶと)「お前たちはお仕え申すか、どうだ」でした。
7.ラバンの反応とエウカシの反応
モルモン書のラバンは彼の召使いたちに預言者リーハイの息子たちを殺すように命令しました。
記紀のエウカシは神武天皇に造反してヤタガラスに向かって矢を放ちました。そして神武天皇に対して兵を上げようとしました。
8. ラバンとエウカシが自身の武器で殺されました
預言者ニーファイはラバンの剣で彼を殺しました。
エウカシは自縄自縛に陥り殺されました。
9.ラバンとエウカシは首を打ち落とされました
預言者ニーファイはラバンの剣を使って彼の首を打ち落としました。
日本書紀によるとエウカシの死後彼の首を打ち落としました。
10.ゾーラムとオトウカシの運命の類似点
ラバンの召使いゾーラムは預言者リーハイの一団と一緒に旅に出ました。約束の地にはそのゾーラムの子孫が長期間に渡って存在していました。
エウカシの弟オトウカシは神武天皇の一団と一緒に旅に出ました。 日本にはそのオトウカシの子孫が長期間に渡って存在していました。
結び
ラバンとエウカシは同一人物でした、そしてゾーラムとオトウカシも同一人物でした。4
4 次の有名な言明はラバンの物語の中にあります。それはモルモン書の中で最も大切な一節です。そしてそれは預言者ニーファイの言葉です。モルモン教会の子供たちはこの一節を暗記しています。「わたしは行って、主が命じられたことを行います。主が命じられることには、それを成し遂げられるように主によって道が備えられており、それでなくては、主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」 ニーファイ第一書3:7