歴史の証拠九

常闇とエイス・キリストの降臨

 

時期:紀元後34年



紹介

この証拠ではモルモン書で見られるイエス・キリストの出現を紹介して常闇を説明します。



参照

1.文字通りの驚天動地の大事件

  5  さて、第三十四年一月四日に、全地でこれまでにまったく知られていないような大きな嵐が起こった。

  6  また、激しくすさまじい暴風雨もあった。また、すさまじい雷があり、まさに引き裂くほどに全地を揺り動かした。

  7  さらに、全地でこれまでにまったく知られていないような非常に強烈な稲妻があった。

  8  そして、ゼラヘムラの町に火がついた。

  9  モロナイの町は海の深みに沈んで、そこに住む者はおぼれた。

  10  また、地がモロナイハの町の上に持ち上がり、その町のあった所に大きな山ができた。

  11  南方の地にも大変な恐ろしい破壊があった。

  12  しかし見よ、北方の地にはもっと大変な恐ろしい破壊があった。見よ、暴風雨と旋風と雷と稲妻と全地の非常に激しい震動のために、地の全面が変わってしまった。

  13  街道は破壊され、平坦な道は損なわれ、多くの平らな場所が起伏の激しい所となり、

  14  多くの大きな名の知れた町が沈み、多くの町が焼け、また多くの町が揺れ動いて建物が地に倒れ、そこに住む者が死に、方々の地が荒れ果てるに任された。

  15  残った町も多少あったが、それでもそれらの町の受けた被害は非常に大きく、それらの町の多くの者が死んだ。

  16  また、旋風によって運び去られた者もかなりいた。人々は彼らが運び去られたことは知っているが、どこへ運ばれて行ったのかだれも知らない。

  17  このように、暴風雨と雷と稲妻と地の震動のために、全地の面が形を変えてしまった。

  18  そして見よ、方々の岩は二つに裂けて、全地の面に及んだので、地の全面に砕けた破片として、ひびとして、割れ目として見られるようになった。

  19  そして、雷と稲妻、嵐、暴風雨、地の震動はやんだ。見よ、これらはおよそ三時間続いた。その時間はもっと長かったと言う人々もいたが、このような大変な恐ろしい出来事はすべて、およそ三時間続いた。その後、見よ、地の面が暗くなった。

第三ニーファイ、ニーファイの書8:5−19

紀元約三十四年



2.常闇

  20  そして、地の全面に深い暗闇があり、それまでに倒れなかった民がその暗黒の霧に触れると、それを感じることができるほどであった。

  21  また、暗闇のために光はまったく存在することができず、ろうそくも、たいまつもともすことができなかった。また、良質の十分に乾燥した木にも火をつけることができなかったので、光はまったくなかった。

  22  地の面にある暗黒の霧が非常に深かったので、どんな光も見えず、火も、かすかな光も、太陽も、月も、星も見えなかった。

  23  そして、光のまったく見えない状態が三日間続き、すべての民の中に大きな悲しみとわめき声と泣き声が絶えなかった。まことに、民に及んだ暗闇と大きな破壊のために、民のうめき声は大きかった。

第三ニーファイ、ニーファイの書8:20−23

紀元約三十四年



[196]このときちょうど夜のような暗さとなって何日も経った。時の人は「常夜行く」といったそうだ。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.196




3.イエス・キリストの降臨

  1  さて、ニーファイの民の大勢の群衆がバウンティフルの地にある神殿の周りに集まり、互いに驚き、不思議に思い、また各地に起こった大いなる驚くべき変化について互いに話し合っていた。

  2  彼らはまた、すでにその死にかかわるしるしが現れたイエス・キリストについても語り合っていた。

  3  そして、彼らが互いに語り合っていたとき、天から発せられるような声が聞こえた。しかし彼らは、自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分からなかったので、辺りを見回した。それは耳障りな声ではなく、大きな声でもなかったが、小さな声でありながら、聞いた人々の心の中まで貫いたので、彼らの全身はことごとくそれによって震えた。まったく、それは魂そのものにまで彼らを貫き、彼らの心を燃え上がらせた。

  4  そして彼らは、再びその声を聞いたが、それでもその声の告げる意味が分からなかった。

  5  その声は三度まで聞こえ、彼らはこの度は耳を開いてそれを聞き、目をその声のする方へ向けて、その声が発せられる天を見詰めていた。

  6  すると見よ、三度目には、彼らは自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分かった。その声は彼らに語った。

  7  「わたしの愛する子を見なさい。わたしの心にかなう者である。わたしは彼によって、わたしの名に栄光を加えた。彼に聞きなさい。」

  8  そして、彼らはその意味が分かったので、再び天を見上げた。すると見よ、天から一人の男の方が降って来られるのが見えた。この御方は白い衣を着ておられ、降って来て群衆の中に立たれた。全群衆の目がこの御方に注がれたが、彼らは互いの間でさえ、あえて口を開こうとはしなかった。また彼らは、自分たちに御姿を現された御方を天使であると思ったが、これがどういうことなのか分からなかった。

  9  そこでこの御方は、片手を差し伸べて人々に言われた。

  10  「見よ、わたしはイエス・キリストであり、世に来ると預言者たちが証した者である。

  11  見よ、わたしは世の光であり命である。わたしは、父がわたしに下さったあの苦い杯から飲み、世の罪を自分に負うことによって父に栄光をささげた。わたしは世の罪を負うことによって、初めから、すべてのことについて父の御心に従ってきた。」

第三ニーファイ、ニーファイの書11:1−11

紀元約三十四年



4.イエス・キリストについての忘却された知識

  6  そして、わたしたちが民を全員一団としてクモラの地に集め終えたとき、見よ、わたしモルモンは老いが進んでいた。わたしは、これが自分の民の最後の戦闘であることを知っており、また、先祖から伝えられてきた神聖な記録をレーマン人の手に渡してはならないと主から命じられていたので(レーマン人はそれらの記録を損なうからである)、わたしはニーファイの版からこの記録を作り、主の手によってわたしに託されたすべての記録をクモラの丘に隠した。そして、このわずかな版だけを息子モロナイに渡す。

モルモン書6:6

紀元約三百八十五年




  2  見よ、レーマン人同士の戦争が今非常に激しい。また、彼らは憎しみのために、キリストを否定しないニーファイ人をすべて殺している。

  3  わたしモロナイはキリストを否定しないので、命の安全を得られる場所を求めてさまよっている。

モロナイ書1:2−3

紀元約四百年から四百二十一年に至る




5. 神の約束と海の島に住む人々

  10  わたしたちの先祖の神、すなわち、わたしたちの先祖を奴隷の状態から救って、エジプトから導き出し、荒れ野の中で彼らを守られた神、まことに、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神は、あの天使の言葉のように一人の人として悪人たちの手に身をゆだねて、ゼノクの言葉のように上げられ、ニアムの言葉のように十字架につけられ、ゼノスの言葉のように墓に葬られるのである。ゼノスは三日間の暗闇について語ったが、それはこの御方が亡くなられるときのしるしであって、海の島々に住む者たち、特にイスラエルの家に属する者に与えられるしるしである。 

12  預言者ゼノスはさらに言う。「これらのことは、すべて必ず起こる。そして地の岩は必ず裂ける。また大地がうなりを起こすので、海の島々にある多くの王は神の御霊に動かされて、『万物の神が苦しみに耐えておられる』と叫ぶ。」

  16  まことにそのときに、イスラエルの聖者は海の島々を思い起こされる。そして主は、預言者ゼノスの言葉のように、「わたしはイスラエルの家に属する民を、すべて地の四方から集めよう」と言われる。

ニーファイ第一書19:10、12、16

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る



  8  主はこう言われる。『おお、海の島々よ、わたしは心にかなったときにあなたの言葉を聞き、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを守り、民への聖約として、わたしの僕をあなたに与えて地を築かせ、荒れ果てた受け継ぎの地をあなたに継がせよう。

ニーファイ第一書21:8

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る



   4  まことに、エルサレムにいる人たちにとって、すでに行方の分からなくなっている人が大勢います。まことに、全部族の大半がすでに連れ去られ、海の島々のここかしこに散らされています。わたしたちは、彼らが連れ去られたことだけは知っていますが、どこにいるかはだれも知りません。

ニーファイ第一書22:4

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る


 

  8  そして彼らは、長年の離散から、すなわち海の島々から、また地の四方から集められる。また異邦人の国民は、彼らを受け継ぎの地に連れ戻すことによって、わたしの目に大いなる者となる。』神はこう言われる。

20  さて、わたしの愛する同胞よ、わたしたちの憐れみ深い神は、これらのことについて、このように多くの知識を与えてくださったので、わたしたちは神を覚えて、罪を捨てようではないか。わたしたちは捨てられてはいないので、うなだれるのはやめよう。わたしたちは受け継ぎの地から追い出されたが、主が海をわたしたちの道とされたので、わたしたちはもっと良い地に導かれて来た。そして、わたしたちは今、海の島にいる。

  21  しかし、海の島々にいる者たちに対する主の約束は偉大である。また、島々というからには、このほかにももっとあるに違いない。そこにもわたしたちの同胞が住んでいる。

ニーファイ第二書10:8、20−21

紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る



  11  そしてその日、主は再び、残されている御自分の民の残りの者を、アッスリヤ、エジプト、パテロス、クシ、エラム、シナル、ハマテ、および海の島々から元に戻す業を始められる。

ニーファイ第二書21:11

紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る



  7  あなたがたは、国民は数多くあることを知らないのか。主であり、あなたがたの神であるわたしがすべての人を造ったこと、またわたしが海の島々にいる者たちを覚えていることを知らないのか。またわたしが上は天で治め、下は地で治めていること、そしてわたしの言葉を人の子ら、すなわち地のすべての国民にもたらすことを知らないのか。

  11  わたしは、東の地、西の地、北の地、南の地、また海の島々にいるすべての者に、わたしの語る言葉を書き記すように命じるからである。わたしは書き記される数々の書によって、世のあらゆる人を、書き記されていることに従い、彼らの行いに応じて裁く。

ニーファイ第二書29:7、11

紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る

   


  13  さて見よ、わたしが主に望んだこととは、わたしの民のニーファイ人が戒めに背くようになって、何らかの方法で滅ぼされてしまっても、レーマン人が滅ぼされなければ、主なる神が聖なる腕の力によってでもわたしの民ニーファイ人の記録を残し、それが将来いつかレーマン人に伝えられて、彼らが救いにあずかれるようにしていただくことであった。

  14  現在のところ、レーマン人を真実の信仰に連れ戻そうとするわたしたちの努力は、むなしいものとなっている。彼らは激しい怒りをもって、何とかしてわたしたちの記録とわたしたち自身を、それにわたしたちの先祖のすべての言い伝えを絶やしてしまおうと誓っているのである。

  15  しかしわたしは、主なる神がわたしたちの記録を残す力を持っておられることを知っていたので、また主なる神がかつてわたしに、「あなたがたは必ず与えられると信じて信仰をもってキリストの名によって求めれば、何でも与えられる」と言われたので、わたしは続けて神に叫び求めた。

  16  わたしは信仰を持っていたので、わたしたちの記録を残すように神に叫び求めた。すると神は、御自身がふさわしいと思うときにそれらの記録をレーマン人に伝えると聖約された。

  17  わたしエノスは、神が立てられた聖約のとおりになることを知っていたので、心が安らかになった。

  18  また、主はわたしに言われた。「あなたの先祖たちも、わたしにこのことを求めた。このことは彼らの信仰に応じて行われるであろう。彼らの信仰も、あなたの信仰と同様であった。」

エノス書13−18

紀元前 約 四百二十 年



説明

以下はそれらの重要点を説明しています。 それぞれの参照は上記にあります。


1.驚天動地の大事件

    モルモン書によると紀元約34年に大きな天変地異が九州で発生しました。それは地震と嵐と火山の発生でした。(参照:第三ニーファイ、ニーファイの書8:10)


2.常夜

    直後に闇夜が三日間続きました。 (参照:第三ニーファイ、ニーファイの書8:20−23)日本書紀の歴史の中にも常夜がありました。 その時期は神功皇后の統治時代に起こりました。(参照:日本書紀(上)P.196)そしてその時期は、モルモン書で記録されている時期の何百年も後に起こりました。 興味深いのは日本で発生したその出来事はモルモン書で記録されている出来事と類似している点です。


3.イエス・キリストの降臨

神の子の降臨

  1  さて、ニーファイの民の大勢の群衆がバウンティフルの地にある神殿の周りに集まり、互いに驚き、不思議に思い、また各地に起こった大いなる驚くべき変化について互いに話し合っていた。

  8  そして、彼らはその意味が分かったので、再び天を見上げた。すると見よ、天から一人の男の方が降って来られるのが見えた。この御方は白い衣を着ておられ、降って来て群衆の中に立たれた。全群衆の目がこの御方に注がれたが、彼らは互いの間でさえ、あえて口を開こうとはしなかった。また彼らは、自分たちに御姿を現された御方を天使であると思ったが、これがどういうことなのか分からなかった。

第三ニーファイ、ニーファイの書11:1、8

紀元約三十四年


    モルモン書の記録によると、紀元後約34年で、イエス・キリストはバウンティフルの地で天から下ってきてニーファイ人の神殿で出現したとあります 。13 その神殿こそが日本の九州の北部であったと思われます。14  目撃した人数はおおよそ2500人以上いました。 それらの人々はキリストの再来の情報を全国に広めました。 (しかしながらその人数は2500人以上いました。参照:第三ニーファイ17:25と後の章)目撃した人々はキリストの再来の情報を全国に広めました。(イエス・キリストの再来の記録は第三ニーファイ、ニーファイの書11−26章に書いてあります。その中には彼の教えと預言があります。)


天孫降臨

「さて、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、真床追衾(まとこおうふすま)(玉座を覆うフスマ)で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を包んで降らせられた。皇孫は天の磐座を離れ、八重雲を押しひらき、勢いよく道をふみ分けて進み、日向の襲の高千穂の峯お降り、になった。」

日本書紀(上)

宇治谷(うじたに) 孟(つとむ)(訳)P.58


    九州における神の降臨のいくつかの伝説は、太古から伝えられていますが、イエス·キリストの実際の出現を反映しているかのせいがあります。例えば、九州の日向に降りたった瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はよく知られた日本書記の物語の中にあります。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降りたつ中で色々な障害が生じました。この出来事は多分にキリストの出現の直前に発生した破壊への参照である可能性があります。


宗像大社

宗像大社は、北九州市と福岡市の間にあります。そこは、日本の最古の神社の一つであると伝えられています。興味をそそることは、宗像の大社に大神が降臨したという伝説があります。この大社は、イエス•キリストが日本の古代の人々に出現した実際の九州北部の場所に近い可能性があります。

しかしそこで大神が降臨したと伝えられていますが、その大神は宗像の三女神であったと伝えられていますので、この伝説に鑑みて考えると少々違和感がありますが、 重要な一致点は宗像大社は大神の降臨場所であったということです。 

福岡県宗像市、宗像大社本殿

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Munakata_taisya_honden.JPG


4.イエス・キリストについての忘却された知識

    記紀の記録にはイエス・キリストについては語られていません。恐らく紀元約385年に預言者モルモンは、ニーファイ人の記録をクモラの丘の中に隠しました。そして他の文献記録も何らかの形で消失したものと考えられます。またはその時期に、キリスト教徒は体系的に滅ぼされました。 それらの理由から記紀の記録を追求することは、残念ながら現時点の研究では無理があります。 (参照:モルモン書6:6、 モロナイ書1:2−3、次の証拠十も見てください。)


5.神の約束と海の島に住む人々

    古代ニーファイ人の預言者は「海の島々」について預言しました。彼らは神が島々に住む人々を忘れないと預言しました。モルモン書の記録にあるようにイエス・キリストはその約束を果たすために再来しました。 モルモン書の中のエノス書の中にこれらの約束が記録されています。(参照:エノス書13−18)


 

結び

1.モルモン書も日本書紀も「常闇」の参照があります。


2.下記のバイブルの一節の中にイエスは「この囲いにいない他の羊」を訪ねることに言及しました。 「他の羊」はエルサレムに住まない人々でした。その人々は紀元後約34年に北九州にいるニーファイ人でした。


16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。

ジョハネによる福音書10:16

聖書(日本聖書協会2001年)



3.一番目の事実は、イエス・キリストが救い主であったこと。イエス・キリストの死、そして復活したこと。さらにイエス・キリストがニーファイ人の中に降臨したこと。そのニーファイ人はアブラハムの子孫であったこと。すなわちマナセの子孫であったということ。

    二番目の事実は、真実の教会についてです。 イエス・キリストが異邦人の中で彼の教会を設立ことの事実。 ジョセフ・スミスがモルモン書を出版する以前には真実のキリスト教は滅亡していました。ジョセフ・スミスは、ニーファイ人が残した完全なるキリスト教の真実の版を、最も信用性があるものと確信し、そしてさらに、そのキリスト教の真の事実を世に知らせるべく末日イエス・キリスト教会を設立しました。

 

13 第三ニーファイ11:8はこのバイブルの預言を果たしました:『こう言った。「ガリラヤの人たちよ,なぜ天を見つめて立っているのか。あなた方から迎え上げられたこのイエスは,天に上って行くのをあなた方が見たのと同じ仕方で再び来られるだろう」。』(参照:使徒行伝1:11)

14 参照:地理の証拠二十五