歴史の証拠十二
三種の神器
歴史の証拠十二. 三種の神器
時期:紀元前約600年から紀元後1年に至る
紹介
この証拠ではモルモン書と日本書紀で見られた三種の神器を比較しています。
参照
モルモン書
ラバンの剣:
9 わたしはラバンの剣に目をやった。そして、それをさやから引き抜いた。柄は純金であって実に見事な造りで、刃は最も上等な鋼でできていた。
ニーファイ第一書4:9
紀元前約六百年
10 民はニーファイを非常に愛していた。ニーファイは彼らの偉大な守り手であり、彼らを守るためにラバンの剣を振るい、生涯民の幸いのために働いてきたからである。
ヤコブ書1:10
13 そして、レーマン人の軍隊がニーファイの地から下って来て、ベニヤミン王の民を攻めた。しかし見よ、ベニヤミン王は軍隊を召集して彼らに立ち向かった。彼はラバンの剣を持ち、自分自身の腕の力を振るって戦った。
モルモンの言葉1:13
ラバンの真鍮の版:
3 それは見よ、ラバンがユダヤ人の記録とわたしの先祖の系図を持っているからであって、それらは真鍮の版に刻まれている。
ニーファイ第一書3:3
紀元前約六百年
真鍮の丸い球:
10 そこで、父が朝起きて天幕の入り口へ出て行ったところ、非常に驚いたことに、地の上に入念な造りの丸い球が一つあった。それは純良な真鍮でできていて、その球の内部には二本の指針があり、その一本は、わたしたちが荒れ野で進むべき方向を指していた。
ニーファイ第一書16:10
紀元前約六百年
28 そこで、わたしニーファイが球の中にある指針を見ると、それらは、わたしたちがそれに寄せる信仰と熱意と注意力に応じて働いた。
ニーファイ第一書16:28
紀元前約六百年
ニーファイ人の三種の神器:
15 そして、ベニヤミン王は息子にこれらの言葉を語り終えると、王国の政務のすべてに関する責任を息子にゆだねた。
16 そしてさらに、彼は真鍮の版に刻まれた記録と、ニーファイの版と、ラバンの剣と、荒れ野の中で先祖を導いた球、すなわち指示器についても息子に責任をゆだねた。この指示器は、先祖がそれぞれ主に向けた注意力と熱意に応じて導かれるように、主の手によって備えられたものである。
モーサヤ書1:15−16
紀元前約百三十年から百二十四年に至る
1 さて、第九十一年が過ぎ去った。それはリーハイがエルサレムを去ったときから六百年であり、その年には、ラコーニアスが大さばきつかさであり、国の総督であった。
2 ヒラマンの息子ニーファイは、真鍮の版と、それまで書き継がれてきたすべての記録と、リーハイがエルサレムを去って以来神聖に保存されてきたすべての品々に関する責任を、長男のニーファイにゆだねて、ゼラヘムラの地を去っていた。
第三ニーファイ ニーファイ の 書1:1−2
紀元後約一年
日本書紀
天皇の三種の神器:
[62]そこで天照大神(あまてらすおおみかみ)は瓊々杵尊(ににぎのみこと)に、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙の剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器(さんしゅのじんぎ)を賜もわった。
日本書紀(上)
宇治谷 孟(訳)P.62
説明
預言者レーハイはエルサレムを去ったとき「三種の神器」を持って行きました。それらはニーファイ人の三種の神器に成りました。(注釈:ここで使われている「三種の神器」の言葉は日本書紀の物語の中から引用しました。この特別な言葉はモルモン書の中には書いてありません。)それらは王から王ヘ伝えました。 (モーサヤ書1:15−16、 第三ニーファイ ニーファイ の 書1:1−2)
それらの三種の神器は
1.ラバンの剣:ラバンの剣を奪い、ニーファイは後世の王と共にこの剣を使って、敵であるレーマン人と戦闘に挑みました。(ニーファイ第一書4:9、 ヤコブ書1:10、 モルモンの言葉1:13)
2.ラバンの真鍮の版:これらの記録はユダヤ人の記録と預言者リーハイの系図の記録から成っています。さらに後のニーファイ人の神聖な記録も追加されました。( ニーファイ第一書3:3)
3.指示器:この丸い真鍮の球はリーハイに荒れ野の中で正しい方向性を示した。それは預言者リーハイの信仰に応じて働きました。 (ニーファイ第一書16:10 ニーファイ第一書16:28、)
初期の神の時代に、すでに天皇の三種の神器が見られます。( 日本書紀(上)、P.62)
モルモン書並びに
1。ラバンの剣VS草薙の剣
2。ラバンの真鍮の版VS八咫鏡
3。指示器(羅針盤)の丸い球VS八坂瓊曲玉
結び
モルモン書も記紀も両方とも三種の神器を言いました。その中にも類似があります。