歴史の証拠四

預言者ニーファイと綏靖天皇

 

時期:紀元前600年から521年に至る


紹介

    この第四紹介は預言者ニーファイと綏靖天皇の歴史を比べています。



参照

1.預言者ニーファイと綏靖天皇の父親は同一人物でした

預言者ニーファイ:

預言者ニーファイの歴史の自身が書いた要約から

リーハイと妻サライア、および(長男から始めて)レーマン、レムエル、サム、ニーファイと呼ばれた四人の息子たちの話。リーハイが民に向かって彼らの罪悪について預言をし、民がそのリーハイの命を奪おうとしたので、主はリーハイにエルサレムの地を立ち去るように警告される。リーハイは、家族を連れて荒れ野に三日間の旅をする。ニーファイ、兄たちを伴い、ユダヤ人の記録を手に入れるためにエルサレムの地に戻る。一行が遭った苦しみの話。ニーファイと兄たち、イシマエルの娘たちを妻とする。一行は家族を連れて荒れ野に出発する。荒れ野で遭った苦しみと苦難。一行の旅路。一行、大海に来る。ニーファイの兄たち、ニーファイに反抗する。ニーファイ、兄たちを言い伏せて一隻の船を造る。その地をバウンティフルと名付ける。一行が大海を渡って約束の地に着くことなど。これはすべて、ニーファイが記すところによる。言い換えれば、わたしニーファイがこの記録を書き記したのである。

ニーファイ第一書1章(序文)



預言者ニーファイの自己紹介から

  1  わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。そこで、生まれてからこれまでの間に行ってきたことを記録する。

  2  まことにわたしは父の言葉で記録するが、それは、ユダヤ人が学んできたこととエジプト人の言葉から成っている。

  3  わたしは、自分の書く記録が真実であることを知っている。わたしはこれを自分の手で書き、自分の知っていることに従って書く。

  4  さて、ユダの王ゼデキヤの統治第一年の初めに(父リーハイは生まれてこのかたエルサレムに住んでいた)、その同じ年に多くの預言者が現れて、民に向かい、悔い改めなければ大きな都のエルサレムは滅ぼされるに違いないと預言した。

ニーファイ第一章1:1

紀元前約六百年



天皇:

神渟名川耳天皇は神武天皇の弟三子である。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.111



2.預言者ニーファイと綏靖天皇の兄弟たち

預言者ニーファイ:

  5  そして父は、まず紅海の海辺に近い境の地の辺りに下って行って、それから、さらに紅海に近い境の地の荒れ野を進んだ。父は荒れ野の中を家族を連れて旅をしたが、その家族とは、母サライアと兄たち、すなわちレーマン、レムエル、サムであった。

ニーファイ第一2:5

紀元前約六百年



  7  ところで父は、荒れ野にいた間に二人の息子をもうけており、兄の方をヤコブ、弟の方をヨセフといった。

ニーファイ第一書18:7

紀元前約六百年



綏靖天皇:

日本書紀

[111]神渟名川耳天皇は神武天皇の弟三子である。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.111


[112]その腹違いの兄手研耳命は、年が大きくて長らく朝政の経験があった。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112


[112]そこで神八井耳命(かむやいみみのみこと)は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112



古事記

[176]カムヤマトイハレビコノ命が、まだ日向にいた頃に、阿多の地の小橋の君と言う者の妹、名は阿比良比売を妻として、生ませた御子に、多芸志美美命、次に岐須美美命の二人がいた。

古事記

福永武彦(訳)P.176



[182]こうして二人の間に生まれた御子の名は、日子八井命、次に神八井耳命、次に神沼河耳命。以上三柱。

古事記

福永武彦(訳)P.182



3.預言者ニーファイと綏靖天皇の性格:生来の指導者

預言者ニーファイ:


強靭な持ち主

  16  さて、わたしニーファイはまだとても若かったが、もう身の丈は高く、また神の奥義を知りたいという大きな望みを抱いていたので、主に叫び求めた。すると見よ、主がわたしを訪れ、心を和らげてくださったので、わたしは、父がこれまでに語った言葉をすべて信じた。そのためにわたしは、兄たちのように父に逆らおうとはしなかったのである。

ニーファイ第一書2:16

紀元前約六百年




孝行な持ち主

  17  そしてわたしはサムに、主が聖なる御霊によってわたしに明らかにしてくださったことを話して聞かせた。そこで、サムはわたしの言葉を信じた。

  18  しかし見よ、レーマンとレムエルは、わたしの言うことに決して聞き従おうとしなかったので、わたしは二人の心がかたくななのを悲しく思い、二人のために主に叫び求めた。

ニーファイ第一書2:1718

紀元前約六百年


生来の指導者

19  そこで主は、わたしに告げて言われた。「ニーファイよ、あなたは信仰があるので幸いである。あなたがへりくだった心で、熱心にわたしを求めたからである。

  20  あなたがたは、わたしの命令を守るかぎり栄えて、約束の地に導かれるであろう。まことにそこは、あなたがたのためにわたしが備えた地であって、それはまことに、ほかのあらゆる地に勝ったえり抜きの地である。

  21  あなたの兄たちは、あなたに背くかぎり主の前から絶たれるであろう。

  22  またあなたは、わたしの命令を守るかぎり、兄たちを治める者、教える者とされるであろう。

ニーファイ第一書2:1922

紀元前約六百年



射手の名人

  15  そしてわたしたちは、道々、弓矢や石、石投げで食糧にする獲物をとりながら幾日もの間旅をした。

ニーファイ第一書16:15

紀元前約六百年



武勇戦士

  10  民はニーファイを非常に愛していた。ニーファイは彼らの偉大な守り手であり、彼らを守るためにラバンの剣を振るい、生涯民の幸いのために働いてきたからである。 

ヤコブ書1:10



綏靖天皇:

恵まれた体躯、武芸人

[111]天皇は風采が整い、立派であった。幼い時から気性が雄々しく、壮年になって容貌すぐれ堂々としていた。武芸人に勝れ、志は高くおごそかであった。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.111


孝行

[112]そのとき神渟名川耳尊は、孝行の気持が大変深くて、悲しみ慕う心がやまなかった。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112



射手

[112]そのとき神渟名川耳尊は、兄の持っていた弓矢を引きとって、手研耳命を射られた。一発で胸に命中させ、二つめを背中にあてついに殺した。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112



武勇

[113]そこで神八井耳命は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。ところがお前は武勇にすぐれ、自ら仇人を倒した。お前が天位について、皇祖の業を受けつぐのが当然である。自分はお前の助けとなって、神々のお祀りを受け持とう」、と。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113


正真正銘の指導者

[113]元年の春一月八日に、 神渟名川耳尊は即位された。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113




4.長兄の性格:反抗的な持ち主

預言者ニーファイ:

  11  ところで、父がこう言ったのは、レーマンとレムエルが強情であったからである。見よ、この二人は多くのことで父に対してつぶやいた。それは、父が幻を見る人で、自分たちの受け継ぎの地や、金や銀、貴重品を後に残して、エルサレムの地から自分たちを連れ出し、荒れ野で死ぬほかなかったためであった。そして、父がこのようにしたのは、心に浮かんだつまらない空想のためだ、と彼らは言った。

  12  このように、いちばん年上のレーマンとレムエルは父に対してつぶやいた。彼らがつぶやいたのは、自分たちを造られたあの神の計らいを知らないためであった。

ニーファイ第一書2:1112

紀元前約六百年



  28  さて、レーマンはわたしと父に腹を立てた。またレムエルも、レーマンの言葉に聞き従ったのでともに腹を立てた。それでレーマンとレムエルは、弟であるわたしたちに多くの荒々しい言葉を吐き、そのうえ棒でわたしたちを打った。

ニーファイ第一書3:28

紀元前約六百年



  37  レーマンは、レムエルとイシマエルの息子たちに言った。「父と弟ニーファイを殺してしまおうではないか。ニーファイは兄である我々の支配者となり、我々を教える者になっている。

ニーファイ第一書16:37

紀元前約六百年



  11  そしてレーマンとレムエルは、わたしを捕らえて縄で縛り、情け容赦なくわたしを扱った。それでも主は、悪人たちについてかねてから言われていた御言葉を成就して、御自分の力を現すために、これをそのままにしておかれた。

ニーファイ第一書18:11

紀元前約六百年



綏靖天皇:

それで自由に任せられていたが、その人は心ばえが、もともと仁義に背いていた。ついに天子の服喪の期間に、その権力をほしいままにした。邪な心を包みかくして、二人の弟を殺そうと図った。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112



5. 預言者ニーファイの第三番目の兄の性格:従順な従者

預言者ニーファイ:

  17  そしてわたしはサムに、主が聖なる御霊によってわたしに明らかにしてくださったことを話して聞かせた。そこで、サムはわたしの言葉を信じた。

ニーファイ第一書2:17

紀元前約六百年



  11  そして、彼らに語り終えると、父はサムに言った。「あなたとあなたの子孫は幸いである。あなたは弟のニーファイと同様に、地を受け継ぐからである。あなたの子孫は、ニーファイの子孫とともに数えられる。そして、あなたは弟と同じようになり、あなたの子孫は弟の子孫と同じようになる。そしてあなたは生涯、祝福を受けるであろう。」

ニーファイ第二書4:11

紀元前約語百八十八年から五百七十年に至る



綏靖天皇:

[113]そこで神八井耳命は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。ところがお前は武勇にすぐれ、自ら仇人を倒した。お前が天位について、皇祖の業を受けつぐのが当然である。自分はお前の助けとなって、神々のお祀りを受け持とう」、と。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113




6.父の死後の兄弟の権力争い

預言者ニーファイ:

  12  そして父リーハイは、自分の心に感じるままに、また自分の内にある主の御霊に従って、自分の家のすべての者に語った後、年老いて、死んで葬られた。

  13  さて、父の死後幾日もたたないうちに、レーマンとレムエル、それにイシマエルの息子たちは、主の勧告のことでわたしに腹を立てた。

ニーファイ第二書4:1213

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る


   

  1  さて見よ、わたしニーファイは、兄たちが腹を立てたので、主なるわたしの神に切に叫び求めた。

  2  しかし見よ、わたしに対する兄たちの怒りは激しくなり、彼らはわたしの命を奪おうとした。

  3  まことに彼らは、わたしに向かってつぶやいて言った。「弟は我々を支配しようと思っている。我々は彼のためにひどい試練を受けてきた。見よ、もう弟の言葉で苦難を味わわなくても済むように、弟を殺してしまおう。我々は弟を支配者には決してさせない。この民を支配する権利は、兄の我々にある。」

ニーファイ第二書5:1

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る




綏靖天皇:

[111]四十八歳になった時、神武天皇が崩御された。 そのとき神渟名川耳尊は、孝行の気持が大変深くて、悲しみ 慕 う心がやまなかった。特にその葬式に心を配られた。その腹違いの兄手研耳命は、年が大きくて長らく朝政の経験があった。それで自由に任せられていたが、その人は心ばえが、もともと仁義に背いていた。ついに天子の服喪の期間に、その権力をほしいままにした。邪な心を包みかくして、二人の弟を殺そうと図った。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.111



[182]天皇がこの世を去ったあとになって、残された大后のイスケヨリ姫を、御子たちの異母兄であるタギシミミノ命が妻とした。そのうえ、天皇の位を得んものと、三人の弟たちを暗殺する謀をめぐらしていた。イスケヨリ姫は、三人の御子たちの母親であるから、心の中に嘆き悲しんで、歌を詠んで、暗に御子たちにタギシミミノ命の謀を知らせようとした。

古事記

福永武彦(訳)P.182


7.(預言者ニーファイ、綏靖天皇)の兄(レーマン、手研耳命)は預言者ニーファイを殺そうと脅しました

預言者ニーファイ:

  4  ところでわたしは、兄たちがわたしに対してつぶやいた言葉のすべてをこの版に載せることはしない。ただ、彼らがわたしの命を奪おうとしたと言えば十分である。 

ニーファイ第二書5:4

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る



綏靖天皇:

[112]邪な心を包みかくして、二人の弟を殺そうと図った。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112



[182]そのうえ、天皇の位を得んものと、三人の弟たちを暗殺する謀をめぐらしていた。

古事記

福永武彦(訳)P.182



8.兄弟の権力争いの結末

預言者ニーファイ:

  5  さて、主はわたしニーファイに、彼らのもとを去って荒れ野へ逃げるように、またわたしとともに行きたい者も皆、そうするように警告された。

  6  そこでわたしニーファイは、自分の家族と、ゾーラムとその家族、兄サムとその家族、弟のヤコブとヨセフ、わたしの姉妹たち、そのほかわたしとともに行きたい者たち全員を連れて出た。わたしとともに行くことを望んだ者たちは皆、神の警告と啓示を信じる者たちであったので、わたしの言葉に聞き従った。

  7  わたしたちは天幕と持てるものをすべて携えて、幾日も荒れ野を旅した。そして、幾日も荒れ野を旅した後、わたしたちは天幕を張った。

ニーファイ第二書5:5

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る


綏靖天皇:

[112]そのとき神渟名川耳尊は、兄の持っていた弓矢を引きとって、手研耳命を射られた。一発で胸に命中させ、二つめを背中にあてついに殺した。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.112


他のモルモン書の参照

  23  わたしはアモロンであって、おまえの先祖によって無理やりにエルサレムから連れ出されたゾーラムの子孫である。

  24  そして見よ、今やわたしは勇敢なレーマン人である。見よ、この戦争はレーマン人が受けた不当な扱いの報復をし、レーマン人の統治権を守り、手に入れるために行われてきたものである。これでモロナイにあてた手紙を結ぶ。」

アルマ書54:2324

紀元前約六十三 年



  12  彼らは野蛮で残忍で、血に飢えた民であって、先祖の言い伝えを信じていた。彼らが信じている言い伝えとは、彼らの先祖はそのまた先祖の罪悪のためにエルサレムの地から追い出されたこと、そして、荒れ野で同胞から不当な扱いを受け、また航海中にも不当に扱われたということである。

  13  そしてまた、海を渡った後も、彼らは最初の受け継ぎの地で不当な扱いを受けたというのであった。しかし、これはすべて、ニーファイが兄たちよりも忠実に主の戒めを守ったためである。そのためニーファイは主の恵みを受けた。主はニーファイの祈りを聞いて、祈りにこたえられた。そしてニーファイは、荒れ野で彼らの旅を導いたのである。

  14  ところが兄たちは、主の計らいを理解しなかったので、ニーファイに対して腹を立てた。彼らは主に対して心をかたくなにしたので、海の上でも彼に対して腹を立てた。

  15  そしてまた、彼らは約束の地に着いてからも、ニーファイが民を治める権限を自分たちから奪ったと言って彼に対して腹を立て、彼を殺そうとした。

  16  そしてまた、ニーファイが主に命じられるままに荒れ野へ出て行き、しかも真鍮の版に刻まれた記録を持って行ったので、彼らはニーファイがその記録を自分たちから盗んだと言って、彼に対して腹を立てた。

  17  このようにして、彼らは子供たちに、ニーファイの子孫を憎むように、また彼らを殺すように、彼らから盗み、略奪し、彼らを滅ぼすためにできるかぎりのことをするように教えた。そのためにレーマン人は、ニーファイの子孫に対して、尽きることのない憎しみを抱いている。

ニーファイ第一書2:17

紀元前約六百年



  6  そこでわたしニーファイは、自分の家族と、ゾーラムとその家族、兄サムとその家族、弟のヤコブとヨセフ、わたしの姉妹たち、そのほかわたしとともに行きたい者たち全員を連れて出た。わたしとともに行くことを望んだ者たちは皆、神の警告と啓示を信じる者たちであったので、わたしの言葉に聞き従った。

ニーファイ第二書5:6

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る



綏靖天皇:

[113]そこで神八井耳命は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。ところがお前は武勇にすぐれ、自ら仇人を倒した。お前が天位について、皇祖の業を受けつぐのが当然である。自分はお前の助けとなって、神々のお祀りを受け持とう」、と。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113



10.預言者ニーファイと綏靖天皇は兄達に代わって王に成りました

預言者ニーファイ:

  1  ところでわたしニーファイは、わたしが行ってきたことと、わたしの統治と民に対するわたしの務めについての話をこの版に続ける。さて、わたしの話を続けるには、父と兄たちのことをある程度述べる必要がある。

ニーファイ第一書10:1

   


  6  そこでわたしニーファイは、自分の家族と、ゾーラムとその家族、兄サムとその家族、弟のヤコブとヨセフ、わたしの姉妹たち、そのほかわたしとともに行きたい者たち全員を連れて出た。わたしとともに行くことを望んだ者たちは皆、神の警告と啓示を信じる者たちであったので、わたしの言葉に聞き従った。

ニーファイ第二書5:6

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る



  18  さて、民はわたしが彼らの王になることを望んだ。しかしわたしニーファイは、彼らには王がない方がよいと思った。それでも、わたしの力の及ぶかぎり彼らのために尽くした。

ニーファイ第二書5:18

紀元前約五百八十八年から五百七十年に至る



  2  「見よ、わたしの愛する同胞よ、わたしヤコブは神から召され、神の聖なる位に従って聖任され、またあなたがたが王すなわち保護者として頼り、身の安全のよりどころとしているわたしの兄ニーファイによって任じられたので、あなたがたも知っているように、わたしは非常に多くのことをあなたがたに語ってきた。

ニーファイ第二書 6:2

紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る



綏靖天皇:

[113]そこで神八井耳命は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。ところがお前は武勇にすぐれ、自ら仇人を倒した。お前が天位について、皇祖の業を受けつぐのが当然である。自分はお前の助けとなって、神々のお祀りを受け持とう」、と。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113


11. 預言者ニーファイと綏靖天皇は信仰的な指導者に成りました

預言者ニーファイ:

  6  そこでわたしニーファイは、自分の家族と、ゾーラムとその家族、兄サムとその家族、弟のヤコブとヨセフ、わたしの姉妹たち、そのほかわたしとともに行きたい者たち全員を連れて出た。わたしとともに行くことを望んだ者たちは皆、神の警告と啓示を信じる者たちであったので、わたしの言葉に聞き従った。

ニーファイ第二書5:6

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る



  2  「見よ、わたしの愛する同胞よ、わたしヤコブは神から召され、神の聖なる位に従って聖任され、またあなたがたが王すなわち保護者として頼り、身の安全のよりどころとしているわたしの兄ニーファイによって任じられたので、あなたがたも知っているように、わたしは非常に多くのことをあなたがたに語ってきた。

ニーファイ第二書6:2

紀元前約五百八十八年から五百六十九年に至る



綏靖天皇:

[113]そこで神八井耳命は、恥じて自分から弟に従った。 神渟名川耳尊に譲っていわれる。「自分はお前の兄だが、気が弱くてとてもうまくはできない。ところがお前は武勇にすぐれ、自ら仇人を倒した。お前が天位について、皇祖の業を受けつぐのが当然である。自分はお前の助けとなって、神々のお祀りを受け持とう」、と。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113



12.預言者ニーファイと綏靖天皇は凡そ同じ日付に亡くなりました

預言者ニーファイ:

12  そして、ニーファイは死んだ。

ヤコブ書1:12

紀元前約五百四十四年から五百二十一年に至る


綏靖天皇:

[113]三十三年夏五月、天皇は病気になられ、癸酉の日に崩御された。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.113


説明

    すでに、預言者リーハイと神武天皇は同一人物であったと、はっきりさせました。リーハイの息子たちの中で、誰が第二の天皇に継承するのか判明するのは、それほど難しくはありません。下記の類似点は預言者ニーファイと綏靖天皇が同一人物であったと証拠づけています。彼等の兄弟の類似点も研究の対象です。

    以下はそれらの類似点を説明しています。 それぞれの参照は上記にあります。


1.預言者ニーファイと綏靖天皇の父親は同一人物でした

    この証明をするのは簡単です。預言者ニーファイの父親はリーハイでした。綏靖天皇の父親は神武天皇でした。神武天皇とリーハイは同一人物でした。参照:歴史の証拠二)ですから預言者ニーファイと綏靖天皇の父親は同一人物だったと言う事が証明できます。


2.預言者ニーファイと綏靖天皇の兄弟たち

    モルモン書によると預言者リーハイはエルサルムを去ったときに、すでに四人の息子たちがいました。彼らはレーマン、レムエル、サム、そしてニーファイでした。その時、彼らはすでに成人していました。(ニーファイは多分青年期に達していたと思われます。) 東方旅路の間に彼はさらに二人の息子を儲けました。預言者リーハイの息子の年齢順はレーマン、レムエル、サム、ニーファイ、 ヤコブ、そしてヨセフの六人でした。

    日本書紀によると神武天皇は息子が少なくとも三人いました。年齢順は手研耳命、神八井耳命、そして神渟名川耳尊でした。手研耳命はその二人の兄弟たちの異母兄でした。

    古事記によると神武天皇には多芸志美美命と岐須美美命の息子がいました。彼等達は最初の妻との間に儲けました。その後に日子八井命、神八井耳命、そして神沼河耳命は二番目の妻との間に儲けました。全部で五人でした。

    記紀(古事記と日本書紀)のその兄弟の中には三人が中心的な役割にありました。彼等は手研耳命、神八井耳命、そして神渟名川耳天皇でした。

    ところが長兄の手研耳命は弟たちを殺そうと図りました。弟たちはその兄の計画を見破り神渟名川耳天皇は手研耳命を殺して天皇に成りました。 神八井耳命と神渟名川耳天皇はともに協力し合いました。

    モルモン書によるとレーマンとレムエルは弟のニーファイの命を奪おうとしました。一番上の兄レーマンはその扇動者と思われます。彼等から逃れるためにニーファイとサムそして家族は荒れ野の中に逃げました。彼等の母が一緒に随行したかどうかは不明です。そしてその新しい場所で預言者ニーファイは王に成りました。


3.預言者ニーファイと綏靖天皇の性格:生来の指導者

    これらの参照からなる一節によると預言者ニーファイと綏靖天皇は同じ性格であったことが証明できます。彼等は共に背が高く強靭な体躯でした。さらに孝行者、武勇、射手、戦士。それらを併せ持った彼等は生来の指導者でした。 (注釈:綏靖天皇の幼少名は神渟名川耳天皇でした。)



4.長兄の性格:反抗的な持ち主

    日本書紀によると兄の手研耳命は「もともと仁義に」背いていました。これらの参照からなる一節によるとその描写はニーファイの長兄レーマンにも合致しています。兄手研耳命とレーマンは同一人物だったと思われます。さらにレーマンの弟レムエルと手研耳命の弟の岐須美美命は同一人物だったと思われます。なぜならば古事記によると手研耳命と岐須美美命は神武天皇の息子たちの中で一番上でした。そして他の弟たちは異母兄弟でした。 ですからモルモン書の中のレーマンとレムエルが弟たちのサムとニーファイの異母兄弟であったなら彼らが共に敵対関係であったことが説明できます。しかしながらモルモン書では彼等の兄弟関係については特別に触れていません。



5.預言者ニーファイの第三番目の兄の性格:従順な従者

    サムは預言者ニーファイの兄であったにもかからわず、ニーファイに忠実な従者でした。同じように 神八井耳命は神渟名川耳天皇に忠実な従者でした。兄の神八井耳命とサムは同一人物だったと思われます。



6.父の死後の兄弟の権力争い

    父(預言者リーハイ、神武天皇)の死後に誰が統治者に治まるかという騒動が起きました。そのために息子たちの中で権力争いが始まりました。


7.(預言者ニーファイ、綏靖天皇)の兄(レーマン、手研耳命)は預言者ニーファイを殺そうと脅しました

    モルモン書によると、父の死後に預言者ニーファイの兄たちのレーマンとレムエルは預言者ニーファイの命を奪おうとしました。長兄のレーマン扇動者だったと思われます。

    記紀によると、父の死後に長兄の手研耳命は弟たちを殺そうとしました。


8.兄弟の権力争いの結末

    記紀の物語によると弟神渟名川耳天皇は長兄手研耳命を殺しました。

    モルモン書によると預言者ニーファイと兄たち、ゾーラム、そしてそれぞれの家族はレーマンから逃れました。5



9.預言者ニーファイ(綏靖天皇)の一人の兄が彼の追随者に成りました

    預言者ニーファイの兄サムは彼の追随者に成りました。同じく綏靖天皇の兄の神八井耳命は彼の追随者に成りました。



10.預言者ニーファイ(綏靖天皇)は兄達に代わって王に成りました

    預言者ニーファイは四男として生まれました、にもかからわず王に成りました。

    古事記によると綏靖天皇は五男でした。

    日本書紀によると綏靖天皇は三男でした。



11. 預言者ニーファイ(綏靖天皇)は信仰的な指導者に成りました

    この上記のモルモン書の節は預言者ニーファイが信仰的な指導者であったことを明確にしています。 兄サムは預言者ニーファイから信仰的な根拠を与えられたかどうかについては述べられていません。 しかし、弟ヤコブはこのよりどころを与えられました。同じく、記紀によると兄の神八井耳命は神々のお祀りを受け持つよりどころを綏靖天皇から与えられました。ですから、預言者ニーファイ(綏靖天皇)が王国において神の最高峰と成りました。

    この伝統的な儀式はニーファイ人が伝えました。例えば、ニーファイ人の中の最初の大裁き司であったアルムはその一人でした。


「そして、アルマは最初の大さばきつかさに任命されたが、彼は大祭司でもあった。アルマの父は彼にその職を授け、教会の諸事全般に関する責任をゆだねていた。」

モーサヤ書29:42

紀元前 約九十二 年から 九十一 年 に 至る

   

さらに日本の天皇は同様の大祭司の伝統を守りました。



12.預言者ニーファイ(綏靖天皇)は凡そ同じ時期に亡くなりました

    モルモン書は預言者ニーファイの死の日付を取り上げていません。しかし、彼は紀元前約544年から521年に至って死亡したことは認知しています。それは死亡前後の事件の一定の日付によって証明されています。

    日本書記によると、綏靖天皇は三十三年の五月癸酉の日に崩御しました。ウィキペディアによるとそれは紀元前約549年でした。ニーファイと綏靖天皇の死亡時期は恐らく同時期に起こりました。


結び

    預言者ニーファイと綏靖天皇は同一人物でした。

5 それ以前に、ニーファイがレーマンを殺したかどうかは不明です。歴史の証拠三で、神様の命令に従ってラバンを殺した記録はあります。しかしモルモン書の中では預言者ニーファイが兄レーマンを殺したという証拠が見当たりません。アルマ書54.23−24とモーサヤ書10.12−17はレーマンの子孫がニーファイにたいして不平と不満の記録を列記していますが、どこにも預言者ニーファイがレーマンを殺したという記録が見当たりません。

    これらの異なった記録の歴史の証明については、これから読者間で大論争になることが予想されます。