歴史の証拠

紹介

 

神武天皇

(画像はウィキペディアからです。

参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Emperor_Jimmu.jpg)


    この巻はモルモン書の歴史と日本の歴史を比較しています。この比較は特に古事記と日本書紀(記紀)から引用しています。モルモン書の主な歴史は紀元前約六百年から紀元後約四百年に至っています。この歴史的な時期は日本の文献では主に記紀の中に見つけられます。モルモン書の中には幾つかの出来事が日本のそれらの文献と類似している項があります。

     紀元凡そ四百年にニーファイ人は滅びました。彼らのモルモン書の歴史は、その時点で終わりましたが、記紀の歴史はその後も続きました。記紀の歴史の流れは口述歴史に基づいているという事を述べられなければなりません。 モルモン書と日本の口述歴史の比較は下記の主題に着目されます。


1. 最も重要な結論は、モルモン書にある預言者リーハイと神武天皇が同一人物であったという事です。預言者リーハイはイスラエル人でした。(注:歴史の証拠二を見てください。)モルモン書によると預言者リーハイは約束の地の民の族長でした。 推理すると預言者リーハイは現在の多数の日本人の祖先だと言えます。さらに日本の天皇は、記紀の口述歴史によると神武天皇の家系から出ていることを示すことができます。故に日本の天皇はユダヤ人の始祖の預言者アブラハムの子孫である事が判明できます。


2.実際には日本人とユダヤ人が同じ祖先であるということについては決して、新しい考えではありません。 インターネットで「日猶同祖論」を探索すればそれについて適切な情報が得られます。そしてそれらの情報はモルモン書の中にも明記されています。


3.預言者リーハイの息子のニーファイはモルモン書について下記の預言をしました。


  14  しかし見よ、わたしはあなたがたに、終わりの時について、すなわち、主なる神がこれらのことを人の子らに明らかにされる時代について、預言する。

  15  わたしの子孫とわたしの兄弟の子孫は、不信仰に陥って異邦人に打たれる。まことに、主なる神は彼らの周りに陣を構え、彼らを山で囲み、彼らに対してとりでを築かれる。そして彼らは地に倒されて、もはや存在しなくなる。しかしながらその後、義人の言葉が書き記され、忠実な者の祈りが聞き届けられるので、不信仰に陥った者のすべてが忘れ去られるわけではない。

  16  滅ぼされる者が、地から人々に語りかけるからである。その言葉は低く地の中から出て来て、その声は霊媒の声のように聞こえる。主なる神はその者に力を授け、まるで地の中から出て来るかのように、その者が彼らのことをささやけるようにされる。こうして彼らの言葉は、地の中からささやくのである。

ニーファイ第二書26:14−16

紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る


    これらの古い預言は現在の時代についてです。 モルモン書はその昔に亡くなった人々の声を保管しています。


4.記紀の歴史は口承です。ですからその実際の歴史と推測は混合されています。しかし、その歴史は時代の流れの中で多くの部分で、信憑性を持っていると考えられます。


5.ニーファイ人という人々はモルモン書の中に、彼等たちの歴史を書き留めました。その歴史は紀元前約六百年から紀元後約四百年に至りました。最初のニーファイ人は預言者ニーファイの家族と他の信奉者でした。そのほかにも、ニーファイの霊的な信奉者が含まれていました。(参照:ニーファイ第二書5:9) 約束の地には、ニーファイ人と他民族の人々が共存していました。そしてそのニーファイ人の歴史の中にはレーマン人の人々の歴史が簡単に語られています。(参照:ヤコブ書1:14)ニーファイ人の歴史の中でレーマン人は最後まで争いの相手でした。そして最終的には、紀元約四百年にレーマン人はニーファイ人を全滅させました。しかしながらニーファイ人はレーマン人の歴史について多くを言及していません。残念ながら他民族についても言及しませんでした。


6.この第三巻の中では、第一巻で学んだ地理の情報を用います。なぜならば、モルモン書の全ての歴史は九州全土から名古屋に至って記述して追求しているからです。


7.モルモン書はニーファイ人によって書かれました。彼らの言語は日本語ではありませんでしたから、モルモン書の人々の名前そして地名は記紀とは当然異なっています。


8.記紀とモルモン書の抜粋を比べる時、記紀の抜粋の部分は文脈を無視されていることに気づきます。なぜならば、記紀には口承の歴史が多いために実際の文脈を発見するには、困難であると考えられます。そのような理由から、記紀の文脈については追求を控えたいと思います。しかしながら、私が追求しているモルモン書の歴史と記紀の歴史には、数多くの一致点があることを発見しました。