歴史の証拠七

ガデアントン強盗、土蜘蛛

 

時期:紀元前50年から紀元後350年に至る



紹介

この証拠ではモルモン書で見られるガデアントンという強盗と記紀に見られる土蜘蛛を比較します。

   

参照

モルモン書のガデアントンの強盗


最初の記載

  4  多くの言葉を非常に巧みに操り、またひそかに殺人と強盗を行う悪知恵にも非常にたけていたガデアントンという者がいた。この男はこのように巧みな者であったので、キシクメンの団の首領になった。

ヒラマン書2:4

紀元前約五十年



  18  さて見よ、そのような殺人者たちと略奪者たちは、キシクメンとガデアントンが作った団に所属していた。そして、ニーファイ人の中にさえガデアントンの団に所属している者が大勢おり、レーマン人の中の悪い者たちの中にはもっと多くの者がいた。そして彼らは、ガデアントンの強盗および殺人者と呼ばれた。

ヒラマン書6:18

紀元前約二十五年




  27  そして、第九十三年も平穏に過ぎ去ったが、ただガデアントンの強盗が山々に住んでいて、この地を荒らし回っていた。彼らのとりでと隠れ場が非常に堅固であったので、民は彼らを打ち負かせなかった。そのため彼らは多くの殺人を犯し、民の中でひどい殺戮を行った。

第三ニーファイ、ニーファイの書1:27

紀元約一年から四年に至る



  11  そして第十三年には、国中至る所で戦争と争いが始まった。ガデアントンの強盗がおびただしい数になり、民の中の多くの者を殺し、多くの町を荒らし、国中に多くの虐殺を広めたので、民は皆、ニーファイ人もレーマン人も、彼らに対して武器を取ることが必要になった。

  12  そのため、主に帰依していたレーマン人は皆、同胞であるニーファイ人と結束し、自分たちの命と女子供を守るために、また自分たちの権利と教会の特権、礼拝の特権と自由を守るために、仕方なくガデアントンの強盗に対して武器を取った。

第三ニーファイ、ニーファイの書2:11-12

紀元約十三年




  1  さて、第十八年の末に、強盗たちの軍勢は戦いの準備をし、方々の丘や山、荒れ野、とりで、隠れ場から下って出撃して来た。そして彼らは、南の地と北の地の両方で方々の土地を占領し始め、ニーファイ人が捨てた土地と、荒れ果てるに任せた町をすべて占領し始めた。

第三ニーファイ、ニーファイの書4:1

紀元約十八年から二十一 年に至る




  7  そして、彼らは攻め上った。それは六月のことであり、彼らが攻め上った日は、見よ、大変な恐ろしい日であった。彼らは強盗風の装いをしており、腰に子羊の皮を巻き、体を血で染め、頭髪を刈り込み、かぶとをかぶっていた。ギデアンハイの軍隊はよろいをまとい、体を血で染めていたので、ひどい、恐ろしい姿であった。

第三ニーファイ、ニーファイの書4:7

紀元約十八年から二十一 年に至る



  18  また、レーマン人の中にいたガデアントンの強盗たちが、この地を荒らし回ったので、この地に住む者たちは、自分たちの宝を地中に隠すようになった。ところが、主がすでに地をのろっておられたので、彼らの宝はなくなりやすくなってしまい、彼らはそれらの宝を保つことも、再び所有することもできなくなった。

モルモン書1:18

紀元約三百二十六年




  28  第三百四十九年が過ぎ去った。第三百五十年に、わたしたちはレーマン人およびガデアントンの強盗たちと条約を結び、その条約によって分割された受け継ぎの地を得た。

モルモン書2:28

紀元約三百五十年




記紀の土蜘蛛


神武天皇の時代

[106]また高尾張邑に土蜘蛛がいて、その人態は、身丈が短く、手足が長かった。侏儒と似ていた。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.106

[170]この土地から命の軍隊はさらに族をつづけて、忍坂の大室に到着したが、そこには土雲と呼ばれる原住民の一族で、その数八十人に及ぶ勇猛な賊どもが、その住民である大きな穴の中に蜘蛛のうよに潜んで、唸り声を立てながら待ち構えていた。


古事記

福永武彦(訳)P.170



景行天皇の時代

[156] 天皇がおいでになると聞いて、自らお迎えに出て申し上げ、「この山に大きな石窟があり、鼠の石窟といいます。そこに二人の土蜘蛛が住んでいます。一人を青といい、もう一人を白といいます。また直入県(大分県直入郡)の禰疑野に三人の土蜘蛛がいます。一人を打猿といい、もう一人を八田といいます。さらに国麻呂というのがいます。この五人はそれぞれ強力で仲間が多く、皆「皇命には従わない」といっています。もし強いてよばれたら兵を興して戦おういっています」といった。天皇は好ましくないと思われ、進んで行かれなかった。来田見邑に留まって、仮の宮をたててお住みになった。群臣と謀って、「いま多くの兵を動かして土蜘蛛を討とう。もしわが兵の勢いに恐れて山野に隠れたら、後にきっとわざわいをなすだろう」といわれた。椿の木を取って椎に造り、これを武器とされた。強い兵をえらんで、椎を受け、山をうがち草をはらって、石室の土蜘蛛を襲い、稲葉の川上に破り、ことごとくその仲間を殺した。

日本書紀(上)

宇治谷 孟(訳)P.156




説明

    モルモン書の中に登場するガデアントンという強盗は山中に潜んでいた山賊でした。

彼らは南方の地(九州)と北方の地(本州)にいました。(第三ニーファイ1:27、4:1 土蜘蛛とガデアントン強盗は同様に山賊でした。(参照:古事記 P.170、 日本書紀(上)P.156)

    土蜘蛛は初めて神武天皇の時代に記録され、少なくとも景行天皇の統治まで存在しました。 (参照:日本書紀(上)P.156)ガデアントン強盗が初めて紹介されたのは紀元前50年でした。 (参照:ヒラマン書2:4) 彼らは少なくとも紀元後350年までに存在しました。(参照:モルモン書2:28)

    ガデアントン強盗と土蜘蛛の運命については不明です.



結び

    モルモン書のガデアントン強盗は土蜘蛛でした。