地理の証拠三十六

ニーファイ人のゼラヘムラという首都

 

参照

ゼラヘムラの最初の住民はエルサレムから来ました

  15  さて見よ、モーサヤが知ったところによれば、ゼラヘムラの民28 は、ユダの王ゼデキヤがバビロンへ囚われの身となって連れ去られたときに、エルサレムから出て来た民であった

オムナイ書1:15


ゼラヘムラの民は北方の地(本州)から来ました

  30  バウンティフルの地は、ニーファイ人がデソレションと名付けた地に接していた。そのデソレションの地ははるか北方にあって、かつて人々が住んでいたが今はもう滅びてしまい、前に述べたようにゼラヘムラの民がその人々の骨を発見した地である。またそこは、ゼラヘムラの民が最初に上陸した所でもある。

  31  彼らはそこから南の荒れ野へ上って来た。このようにして、北方の地はデソレションと呼ばれ、南方の地は、あらゆる野生動物で満ちている荒れ野があったので、バウンティフルと呼ばれた。その野生動物の一部は、食べ物を求めて北方の地から来たものであった。

アルマ書22:30−31

紀元前約九十年から七十七年に至る



ゼラヘムラの民はミュレク人と呼べています

  10  ところで、南の地はリーハイと呼ばれ、北の地はゼデキヤの息子にちなんでミュレクと呼ばれた。主がミュレクを北の地へ導き、リーハイを南の地へ導いてこられたからである。

ヒラマン書6:10

紀元前約二十九年




ニーファイ人は主の導きによってゼラヘムラの地に来ました

  12  見よ、わたしはアビナドムの子、アマレカイである。見よ、わたしはゼラヘムラの地を治める王とされたモーサヤについて、少しあなたがたに述べよう。見よ、モーサヤはニーファイの地から逃げ出すように、また、主の声に聞き従う者も皆、モーサヤとともにその地から荒れ野へ出て行くように、主から警告を受けた。

  13  そこでモーサヤは、主に命じられたとおりにした。また、主の声に聞き従う者も皆、その地から荒れ野へ出て行った。そして、幾度にもわたる説教と預言によって導かれ、また神の言葉により絶えず訓戒を受けた。また彼らは、神の腕の力によって導かれ、荒れ野を通り過ぎてゼラヘムラの地と呼ばれる地に着いた。

オムナイ書1:12−13

紀元前約二百七十九年から百三十年に至る



ニーファイ人はゼラヘムラの最初の住民に統合されました

  2  当時ニーファイの子ら、すなわちニーファイの子孫であった人々は、ミュレクと、また彼とともに荒れ野へ出た人々の子孫である、ゼラヘムラの民ほど多くはなかった。

モーサヤ書25:2

紀元前約百二十年



ゼラヘムラの地はニーファイ人の王国に成りました

  13  今やゼラヘムラの民はすべて、ニーファイ人とともに数えられた。それは、ニーファイの子孫である人々のほかに、だれにも王位が授けられなかったからである。

モーサヤ書25:13

紀元前約百二十年



行く年間の後その王国はさばきつかさの統治に成りました

  44  このようにして、ゼラヘムラの全地で、すなわちニーファイ人と呼ばれたすべての民の中で、さばきつかさの統治が始まった。そして、アルマが最初のさばきつかさであり、大さばきつかさであった。

モーサヤ書29:44

紀元前約九十一年



  1  さて、モロナイは国の総督であるパホーランに再び手紙を書いた。彼が書いた言葉は次のとおりである。「わたしはゼラヘムラの町にいる大さばきつかさであり国の総督であるパホーランと、またこの戦争の諸事を統轄し取り仕切るためにこの民によって選ばれたすべての方々にあてて、この手紙を記します。

アルマ書60:1

紀元前約六十年

   




ニーファイ人の中央政府が終局しました

  1  さて見よ、わたしはあなたがたに、彼らが国を治める王を立てなかったことを示そう。この年、すなわち第三十年に、彼らはさばきつかさの席に着いていた国の大さばきつかさを殺した。

  2  そして、民は互いに分裂し、家族と親族と友人ごとにそれぞれ部族に分かれた。このようにして、彼らは国の政府を滅ぼした。

  3  そして各部族は、彼らを治める族長や指導者を任命した。このようにして、彼らは部族の者となり、部族の指導者となった。

  4  さて見よ、彼らの中には家族や親族や友人が大勢いない者はだれ一人いなかったので、彼らの部族は非常に大きなものとなった。

第三ニーファイ7:1−4

紀元約三十年から三十三年に至る



キリストの死去後のすぐ後にゼラヘムラの町は火災によって滅びました

  8  そして、ゼラヘムラの町に火がついた。

第三ニーファイ8:8

紀元約三十四年



  3  見よ、あの大きな町ゼラヘムラとそこに住む者たちを、わたしは火で焼いた。

第三ニーファイ9:3

紀元約三十四年



ゼラヘムラの町は復興しました

  8  まことに、あの大きな町ゼラヘムラさえも復興した。

第四ニーファイ1:8

紀元約六十年



モルモン書で記載されたゼラヘムラの地名の最後の参照

  10  さて、その戦争は、シドンの水のそばにあるゼラヘムラの境で始まった。

モルモン書1:10

紀元約三百二十二年から三百二十六年に至る





   

ゼラヘムラの町はニーファイ人の国の中央部にありました

  27  しかし見よ、レーマン人は彼の願ったようには恐れず、国の中央部に入って来て首府であるゼラヘムラの町を奪い、国の最も重要な地方を経由して進みながら、男、女、子供の区別なく民を大勢殺し、多くの町と多くのとりでを占領した。

ヒラマン書1:27

紀元前約五十一年


説明

この節の主要点

(1)ゼラヘムラの町は最初にミュレク人という人々によって入植されました。彼等は北方の地、すなわち今の本州から来ました。彼らの祖先はエルサレムから来ました。(参照:オムナイ書1:15、アルマ書22:30−31、そしてヒラマン書6:10)



(2) ニーファイ人は南の九州からすでに存在していたゼラヘムラの町に来ました。紀元前約225年に、ニーファイ人はゼラヘムラを彼等の首都として確立しました。(参照:オムナイ書1:12−13, モーサヤ書25:2)



(3)ゼラヘムラの町はニーファイ人の首都に成りました。当初は王国として繁栄していましたが、次の王位継承者が見つからなかったために、その後は裁き司がザラヘムラの町を統治し始めました。(参照:モーサヤ書25:13, モーサヤ書29:44, アルマ書60:1)



(4)紀元約三十年には裁き司の統治制度が崩壊したためニーファイ人はそれぞれの部族へと分裂していました。 (参照:第三ニーファイ7:1−4)



(5) 紀元約三十四年にゼラヘムラの町は火災で全滅しました。その後紀元約六十年にゼラヘムラの町は復興しました。 (参照:第三ニーファイ8:8, 第三ニーファイ9:3,  そして第四ニーファイ1:8)



(6)ゼラヘムラの町とゼラヘムラの地は筑紫平野の中にありました。(モルモン書1:10と地理の証拠ニ十六を参照してください。 モルモン書1:10のシドン川は現在の筑後川です。)



(7)ゼラヘムラの町は少なくも紀元三百二十六年まで存在していました。(参照:モルモン書1:10)


(8) ゼラヘムラの町は筑後川の北側と筑紫平野の中央に位置していたと推測します。 ゼラヘムラの町を確立したミュレク人は北九州の沿岸から九州の中央部を歩いて筑紫平野に到着したと考えられます。彼等は筑後川の北側に位置する筑紫平野の中央部を拠点に居住したと考えられます。さらに上の節ヒラマン書1:27によるとその町はニーファイ人の国の中央部にありました。



結び

    ニーファイ人のゼラヘムラという首都は今の筑紫平野の中央と筑後川の北側にありました。「地図四.ニーファイ人の町」を参照してください。

28 ザラヘムラの民は紀元前の五百年代に日本に定住した人々でした。彼らはエルサレムから日本に上陸しました。モルモン書ではザラヘムラの民について多くを述べていません。詳細な情報はモルモン書の中のオムナイ書1章に述べられています。