地理の証拠三十七
モロナイ、アロン、ニーファイハ、リーハイの町
参照
13 そしてニーファイ人は、一つの町の建設を始め、その町の名をモロナイと呼んだ。それは東の海の近くで、レーマン人の領土の境界線に近い南の方にあった。
14 彼らはまた、モロナイの町とアロンの町の間に、アロンの町の境とモロナイの町の境に接して一つの町の建設を始めた。そして彼らは、その町の名、すなわちその地の名をニーファイハと呼んだ。
15 彼らはまた、同じ年に北の方で多くの町を築き始めた。その代表的なものはリーハイと名付けた町で、北の方の海岸に近い所にあった。
アルマ書50:13−15
紀元前約七十二年
5 さて、モロナイがこのようにレーマン人を攻める準備をしている間に、モロナイの町、リーハイの町、モリアントンの町から集まったニーファイハの民が、レーマン人から攻撃を受けた。29
アルマ書59:5
紀元前約六十二年
説明
上の節アルマ書50:13−15によるとモロナイの町は東の海岸沿いにあり、レーマン人の領土の境界線に近かったと思われます。アロンとニーファイハの町はモロナイの町の近くでした。「ニーファイ人の町」の地図でその町が現在の大分県の豊後高田市と宇佐市の近くであったと付け加えてあります。
リーハイの町はモロナイ、アロン、そしてニーファイハの町の北の方にあり、東の海岸に沿っていました。30 (参照:アルマ書59:5)
結び
「地図四.ニーファイ人の町」を参照して下さい。
29 ニーファイハの町は隣接する地の町より大きかったと考えられます。また防衛においても勝っていたと考えられます。
30 ニーファイハの町とリーハイの町は地理の証拠三十四でも言われています。