第二項

モルモン書の地の地名

 

紹介

  7  さて、ニーファイの民の地や町や村は、小さい村であってもすべて、最初にそこを所有した人の名を付けるというのが彼らの習わしであった。アモナイハの地についても同様であった。

 アルマ書8:7

紀元前約八十二年



この項の中には幾つかのモルモン書で紹介している地と地形の地名を日本の地図に付け加えることができます。 これらの地名は「地図二.モルモン書の約束の地」と「地図三.モルモン書の地」という地図で見つけられます。この地の位置付けは殆ど正確です。 モルモン書では地理が詳細に描写されていません。さらにモルモン書に記述されている歴史は千六百年以上も前のことですから、その時代から遡って現在に至るまでの地理が変化していることは否めません。

モルモン書の中には多くの地名が記載されていますが、それらを日本の地図の位置付けとして確認するための情報を得るには不十分です。ちなみにニーファイ人が居住していたそれぞれの地名は首都の名から名付けていました。




地図三.モルモン書の地

ここでは吉野ヶ里遺跡、穴門、豊国、そして再子山以外の地図の地名はすべてモルモン書からの引用です。それらはモルモン書の地と地形です。これらの地図の詳細は紀元前約七十年の時期に作成されたものを引用しました。モルモン書に記録されている人々は常に敵対関係にありました。特にニーファイ人とレーマン人の領地の境界線は、彼等の戦いが続く中で常に変化しました。