地理の証拠十四

約束の地は日本

 

参照


約束の地

16  したがって、このときモロナイは、クリスチャンの大義と国の自由に神の恵みがあるようにと祈ったのであった。

  17  さて、彼はその心を神に注ぎ出してから、デソレションの地の南の全地を、要するに、北方も南方も含めた全地を、選ばれた地、自由の地と名付けた。

アルマ書46:16−17

紀元前約七十二年



 2  神の小羊に対して心をかたくなにしなければ、彼らは、あなたの父の子孫の中に数えられるようになる。まことに、彼らはイスラエルの家の中に数えられ、約束の地でとこしえに祝福された民となり、もう囚われの身となることはない。そして、イスラエルの家は再び乱されることがない。

ニーファイ第一書14:2

紀元前約六百年



狭い通路(穴戸)

20 また、彼らは地峡のそばに、すなわち海によって陸が分けられている場所の近くに一つの大きな町を築いた。

エテル書10:20



校訂古事記傳本居宣長吉川弘文館東京大正十年一月二十日 五版印

二十七巻、P.一六一二

この本はhttp://archive.org/details/kteikojikiden04motouoftで手に入ることが出来ます。下記はP.一六一二



本居宣長の穴戸の説明



説明

1.約束の地(日本)

    現在では約束の地を発見するための十分な情報が得られます。そして情報を探る中で、とても重要な事実を発見しました。それはモルモン書の地の地理の証拠一から十三に記述されている部分です。 約束の地は日本の地にあるという事実です。他のどこの国にもこの地と類似した所は確認出来ませんでした。(「モルモンの地」と「モルモンの約束の地」 の両方の地図を参照してください。)

    その約束の地は九州地方と本州の西南にありました。 ニーファイ人の司令官モロナイはそれを確認していました。 (参照:アルマ書46:16−17)さらに上記のニーファイ第一書14:2によるとその約束の地はリーハイの子孫のためだけではなく、全ての住民のための地であったことを確認しています。

    これらの記録を総合するとモルモン書に記述されている約束の地は日本の地であったことが

判明できます。



2.地理の証拠五が紹介された狭い通路(穴戸)













    上記の参照の中で本居は伝説の穴戸(穴門)について話しています。本居によると昔はこの場所には自然に関門海峡を渡っている陸橋がありました。その時代に人々は本州から九州まで歩くことが出来ました。そしてさらに船はその陸橋の下で通ることが出来ました。モルモン書の中のエーテル書10:20で描写されている下記の文章の部分について少しだけ追加します。海は地峡で分割されただけでなく、それと同時に大地も海で南北に分割されていました。しかしながらこの説明を分析すると、穴戸と呼ばれていた自然陸橋が、分割されていた大地(本州と九州)を接続したものと考えられます。それと同時に橋下を流れる海水は西は対馬海峡に流れていき、東は瀬戸内海に流れていきました。



3.十三の地理のもっとも重要な一致点

この号は上の地理の証拠の号に相当します。

一.約束の地は日本と同じように島国です。

二.約束の地は日本と同じように太平洋にありま

三.約束の地は日本と同じように中国に近いです。

四.約束の地の小さい地峡は関門海峡に直接に繋がる地です。

五.約束の地の狭い通路は昔から伝わる関門海峡を渡る穴門でした。9

六.約束の地のシドン川は筑後川です。

七.約束の地のリプリアンクムという一番大きいな湖は琵琶湖です。

八.モルモン書のクモラの地は琵琶湖の東の近くにある地です。

九.約束の地は日本と同じように山があります。

十.約束の地は日本と同じように地震と火山があります。

十一.約束の地は日本と同じように森があります。

十二.約束の地は日本と同じように豊かな降雨と水があります。

十三.約束の地は九州と同じように暖地です。


これらは日本の地理と約束の地の地理の類似を十三点に挙げた重要な一致点です。 その他にも多くのモルモン書の地と町の地名が日本の地理の中で位置付けられていることが下記に紹介されています。




結び

    モルモン書の約束の地は日本です。



地図一.現在の日本に於けるモルモン書の地

この地図は現在の日本の地図です。モルモン書で描かれている人々の生活が広域に渡って分布されていることを表しています。注目したいのは九州の吉野ヶ里遺跡です。この場所は最も重要な拠点であるため、敢えて赤色で記しました。(吉野ヶ里遺跡について第二巻.考古学の証拠を参照してください。)

 

地図二.モルモン書の約束の地

    この地図は現在の日本の地図です。モルモン書で描かれている人々が定住する広さを表しています。ここでは吉野ヶ里遺跡と穴門以外の地名はモルモン書で記述されている地名を用います。 九州に於ける最も重要な拠点である吉野ヶ里遺跡は赤色で記しました。 以下の地図と地名を参照して下さい。