地理の証拠十五

アブロムという地方

 

参照

ヤレド人の王国は関門海峡のそばにありました

20  また、彼らは地峡のそばに、すなわち海によって陸が分けられている場所の近くに一つの大きな町を築いた。

エテル書10:20



オメルというヤレド人の王は琵琶湖の地方を通りました

3  そして主は、その地を去るように夢の中でオメルに警告された。そこでオメルは、家族を連れてその地を去り、幾日もの間旅をして、シムの丘のそばを通り、ニーファイ人が滅ぼされた地方の近くを通り、そこから東の方に向かって、海岸に近いアブロムと呼ばれる地方に着いた。そして彼はそこに天幕を張り、またヤレドと彼の家族を除く、オメルの息子たちと娘たち、およびオメルの家のすべての者が皆、そこに天幕を張った。

エテル書9:3


説明   

    地理の証拠八によると「ニーファイ人が滅ぼされた地方の近くを通り」の場所はリプリアンクムの湖でした。それは日本の琵琶湖に相当します。(参照:地理の証拠十四)オメルはヤレド人の王でした。彼は関門海峡の近くに住んでいました。(上の節エテル書10:20と地理の証拠五を参照してください。)上の節エテル書9:3によると彼はその近くから琵琶湖のそばまで旅をしました。そこから彼は東の方に向かって海岸に至りました。 現在では私達が琵琶湖から東海岸までの道のりを徒歩で試みるとしたら、その経由の主な道路は中山道、東海道、そして大和街路などが該当されると考えられます。恐らくオメルの家族はその道路のいずれかを選び通過したと思われます。中山道は伊吹山と鈴鹿山地の間を通っています。 その他の道はもう少し南方に面する鈴鹿山脈を通り抜けています。 その後彼は今の名古屋の地方に着きました。モルモン書ではこの場所をアブロムと呼んでいます。この場所はモルモン書の中で一番遠い北東の方角であると記載した場所です。


結び

    ヤレド人のアブロムの地方は名古屋の近くにありました。 それはモルモン書の中で一番遠い北東の方角であると記載した場所です。 付属の「地図二.モルモン書の約束の地」を見てください。