地理の証拠四十一

バウンティフルの(豊かな)町

 

参照

  22  コリアンタマーは、ゼラヘムラの町が手に入ったのを見て、またニーファイ人がレーマン人の前から逃げ出し、殺され、捕らえられ、牢に入れられなどして、自分が全地で最も堅固なとりでの占領を終えたのを見て、心が奮い立ち、全地に向かって出て行こうとした。

  23  そして、彼はゼラヘムラの地に長居せず、大軍を伴ってバウンティフルの町に向かって進軍した。それは、進んで行って剣で道を切り開き、国の北部も手に入れようと決意していたからである。

  24  また彼は、ニーファイ人の軍隊の主力が国の中央部にいると思っていたので、ニーファイ人が幾つかの小さな軍隊に集まる以外に集まる暇のないように進軍した。このようにして、彼らはニーファイ人を攻め、地に切り倒したのであった。

  25  しかし見よ、国の中央部を通ったこのコリアンタマーの進軍は、殺されたニーファイ人がおびただしい数に上ったにもかかわらず、彼らに対してモロナイハを非常に有利な立場に置くことになった。

  26  見よ、モロナイハは、レーマン人があえて国の中央部に入って来ることはなく、これまで行ってきたように、境の地の方々の町を攻撃して来るであろうと思い、ニーファイ人の強い軍隊に境の地の方々を守らせていたからである。

  27  しかし見よ、レーマン人は彼の願ったようには恐れず、国の中央部に入って来て首府であるゼラヘムラの町を奪い、国の最も重要な地方を経由して進みながら、男、女、子供の区別なく民を大勢殺し、多くの町と多くのとりでを占領した。

  28  モロナイハはこれを知ると、彼らがバウンティフルの地へ達する前に遠回りして彼らの進路を断つため、すぐにリーハイを軍隊とともに派遣した。

  29  そして、リーハイはそのように行った。彼はレーマン人がバウンティフルの地に達する前に、彼らの進路を断って攻撃したので、彼らはゼラヘムラの地へ向かって退却し始めた。

ヒラマン書1:22−29

紀元前約五十一年



9  モロナイはまた、バウンティフルの地の防備を固めて北方の地に通じる地峡を守り、レーマン人がその地点に達して四方からニーファイ人を攻め悩ます力を持たないようにすることをテアンクムに命じた。

アルマ書52:9

紀元前六十六年




  17  そこでテアンクムは、ミュレクの町に攻撃を加える準備をし、軍隊を率いてレーマン人に攻めかかる準備を整えた。しかし、レーマン人がとりでの中にいる間は打ち負かせないことを知ったので、その計画を断念し、バウンティフルの町に引き返してモロナイの到着を待ち、軍隊を増強することにした。

アルマ書52:17

紀元前約六十五年




説明

    「地理の証拠二十五.バウンティフルの(豊かな)地」によるとバウンティフルの地はゼラヘムラの地の北方にありました。(この時にニーファイ人はバウンティフルの地を占領していました。)そしてアルマ書52:9によるとバウンティフルの地は関門海峡の近くにありました。バウンティフルの町はバウンティフルの地の中央部にあったと思われます。(参照:ヒラマン書1:23−25)さらにアルマ書52:17によるとその町はミュレクの町の近くにありました。ニーファイ人と争っていた時にレーマン人はミュレクの町を占領しました。そのミュレクの町は東海岸に面していました。(参照:地理の証拠三十四)推理するとバウンティウルの町はミュレクの町とゼラヘムラの町の間に挟まれた町だったと考えられます。



結び

バウンティウルの町は現在の福岡県の北方に位置する中間部にあったと考えられます。「地図四.ニーファイ人の町」を見てください。