地理の証拠四十

アモナイハの町

 

参照

  6  このようにして、彼32 はミレクの地で務めを終えると、そこを去り、ミレクの地の北方を三日間旅した。そして、アモナイハという町に着いた。

アルマ書8:6

紀元前約八十二年


  2  見よ、レーマン人の軍隊がすでに荒れ野の方から境の地に侵入してアモナイハの町に入り、民を殺して町を破壊し始めたからである。

アルマ書16:2

紀元前約八十年

 

6  そこでアルマは、その件について主に尋ねた。それから戻って来ると、彼らに言った。「見よ、レーマン人はマンタイの地の境のはるか向こうにある南の荒れ野でシドン川を渡るでしょう。見よ、あなたがたはシドン川の東側で彼らを迎えて戦いなさい。そうすれば主はあなたがたに、レーマン人に捕らえられた同胞を渡されます。」

   アルマ書16:6

紀元前約八十年


説明

    ミレクの地の位置を上記に明記しました。(参照:地理の証拠三十一) それは現在の佐賀県の吉野ヶ里遺跡の地域にあったと推測しました。アモナイハの町は現在の福岡県の近くにあったと思われます。アルマはミレクの地から三日間の旅の末にアモナイハの町に着きました。参照:アルマ書8:6)推理すると彼(アルマ)は吉野ヶ里(ミレクの地)の近くから東へ抜けてさらに山岳地帯を避けて回り道をして北方へ向かったと思われます。その二つ場所の間の距離はそれほど隔たりがないので、彼は旅の途中で立ち寄ったと考えることができます。

    アルマ書16:2と16:633 によるとレーマン人は南東から山岳部を通り抜けることが出来ました。アモナイハは山岳部に位置する北の荒れ野の近くにありました。(参照:地理の証拠二十七)アモナイハの町は現在の福岡市の東にある山岳部に近かったと思われます。


結び

「地図四.ニーファイ人の町」を参照して下さい。

32 「彼」はアルマと言うニーファイ人の宣教師でした。彼もニーファイ人の第一大裁き司でした。モルモン書のアルマ書は彼から名付けました。

33 アルマ書16:6の意味はレーマン人の軍隊は元から来た方向(レーマン人の領土)へ後退した、と思われます。