地理の証拠四

約束の地の小さい地峡

 

参照

北方の地と南方の地の間には小さい地峡が有ります

  32  さて、東の海から西の海までは、バウンティフルとデソレションの地の境界線上をニーファイ人が一日半旅をすれば行けるわずかな距離であった。このように、ニーファイの地とゼラヘムラの地はほとんど海に囲まれており、北方の地と南方の地の間には小さい地峡があった。

アルマ書22:32

紀元前約九十年から七十七年に至る




南方の地における小さい地峡の近くで造船されました

  さて、ハゴスという人がおり、彼は非常に技量の優れた人であったので、出かけて行って、デソレションの地に近いバウンティフルの地の境で一隻の非常に大きな船を建造し、それを西の海に進水させた。そこは北方の地へ通じている地峡の近くであった。

アルマ書63:5

紀元前五十五年




地峡のそばに大きな町がありました

  20  また、彼らは地峡のそばに、すなわち海によって陸が分けられている場所の近くに一つの大きな町を築いた。

エテル書10:20



南方と北方の地の古い名称

  10  ところで、南の地はリーハイと呼ばれ、北の地はゼデキヤの息子にちなんでミュレクと呼ばれた。主がミュレクを北の地へ導き、リーハイを南の地へ導いてこられたからである。

ヒラマン書6:10

紀元前約二十年





説明

上記の節によると約束の地の形態は二つの地から成り立っていることが立証されます。一つは南方、もう一つは北方です。二つの地の間には小さい地峡があります。南の地はリーハイの地と呼ばれ、北の地はミュレクの地と呼ばれます。(参照:ヒラマン書6:10)




結び

もし約束の地を発見したいならば、北方と南方に繋がる地方の島を探してください。