地理の証拠三十一

ミレクの地

 

参照

  3  そして、ニーファイの民のさばきつかさの統治第十年の初めに、アルマ24はゼラヘムラを出て、シドン川の西25にあって西方に荒れ野26を望むミレクの地へ旅立った。

アルマ書8:3紀元前約八十

説明

上記の一節によるとミレクの地はシドン川の西にありました、そしてさらに西の荒れ野の近くにありました。佐賀県にある脊振山系に面している吉野ヶ里遺跡はおそらくミレクの地の首都でした。

結び

    ミレクの地の近似の位置付けは付属の『地図三.モルモン書の地』を参照してください。

24 アルマはニーファイ人の宣教師と第一番目の大裁き司でした。モルモン書のアルマ書は彼から名付けられました。

25 前述したようにシドン川は現在の筑後川でした。(参照:地理の証拠十四.一致点六)そして[シドン川の西]とは「ゼラヘムラの地(筑紫平野)の西の外れ」と同じ意味を為すと考えられます。

26 西方の荒れ野はシドン川の盆地の中央にあったニーファイ人の首都ゼラヘムラの西にありました。(参照:地理の証拠二十七)