地理の証拠二十八

ギデオンの谷

 

参照

  7  さて、アルマはこのように整え終えると、彼らのもとを、まことに、ゼラヘムラの町にある教会を去り、シドン川の東22に渡ってギデオンの谷へ行った。ニーホルの手によって剣で殺された、ギデオンの名にちなんで名付けられたこの谷には、ギデオンの町という一つの町があった。

アルマ書6:7

紀元前約八十三年




  1  さて、アルマはギデオンの地から南方のマンタイの地へ向かって旅をしていたとき、見よ、思いがけず、ゼラヘムラの地を指して旅をしていたモーサヤの息子たちに出会った。

アルマ書17:1

紀元前役九十一年から七十七年に至る



説明

アルマ書6:7に於けるギデオンの谷の所在地は現在の福岡県のうきは市にあったと思われます。 アルマ書17:1でもその所在地を示しています。その時代に預言者アルマはギデオンからマンタイという地に行きました。 マンタイは現在の日田の盆地にありました。 (参照:地理の証拠二十)その旅の途中で、彼はゼラヘムラ(筑紫平野)を目指して旅をしていたマンタイ(日田)から来たモーサヤの息子たちに出会いました。



結び

ギデオンの谷は現在の福岡県うきは市の近くにありました。付属の「地図三.モルモン書の地」を参照してください。

22 前述したようにシドン川は現在の筑後川でした。(参照:地理の証拠十四.一致点六)そして[シドン川の東]とは「ゼラヘムラの地(筑紫平野)の東の外れ」と同じ意味を為すと考えられます