地理の証拠二十七

ゼラヘムラの地が囲まれている荒れ野

 

参照

東の荒れ野

  7  そしてモロナイは、軍隊を東の荒れ野に行かせた。そこで、彼らは出て行って、東の荒れ野にいたすべてのレーマン人を、ゼラヘムラの地の南にある彼らの土地へ追い払った。

アルマ書50:7

紀元前七十二年


南の荒れ野

  6  そこでアルマは、その件について主に尋ねた。それから戻って来ると、彼らに言った。「見よ、レーマン人はマンタイの地の境のはるか向こうにある南の荒れ野でシドン川を渡るでしょう。見よ、あなたがたはシドン川の東側で彼らを迎えて戦いなさい。そうすれば主はあなたがたに、レーマン人に捕らえられた同胞を渡されます。」

アルマ書16:6

紀元前約八十一年から七十八年に至る


西の荒れ野

  3  そして、ニーファイの民のさばきつかさの統治第十年の初めに、アルマはゼラヘムラを出て、シドン川の西にあって西方に荒れ野を望むミレクの地へ旅立った。

アルマ書8:3

紀元前約八十二年


細長い荒れ野と北の荒れ野

27 そして王は全地に、すなわち自分の国内にいるすべての民と、その周辺の全地方にいるすべての民に布告を出した。この国は東と西で海に接しており、またゼラヘムラの地とは、東の海から西の海まで続いている細長い荒れ野で隔てられていた。また、この荒れ野は海岸線で湾曲しており、その北方の境はゼラヘムラの地からマンタイの境を通り、また東から西に流れるシドン川の源まで達していた。レーマン人とニーファイ人はこのようにして分かれていた。

アルマ書22:27

紀元前約九十年から七十七年に至る






説明

    モルモン書は幾多の荒れ野について述べています。 上記の節によるとゼラヘムラの地の周囲は荒れ野でした。 それらの荒れ野は東西南北に拡大されていました。 その時代(紀元前約七十年)の九州の山地は殆どが荒れ野だったと思われます。そのゼラヘムラの地の所在は現在の筑紫平野に該当します。



結び

    荒れ野は山地でした。ゼラヘムラの地が囲まれている山岳の荒れ野は付属の「地図三.モルモン書の地」で表されています。