地理の証拠二十六

ゼラヘムラの地

 

参照

ゼラヘムラの地の周囲

  27  そして王は全地に、すなわち自分の国内にいるすべての民と、その周辺の全地方にいるすべての民に布告を出した。この国は東と西で海に接しており、またゼラヘムラの地とは、東の海から西の海まで続いている細長い荒れ野で隔てられていた。また、この荒れ野は海岸線で湾曲しており、その北方の境はゼラヘムラの地からマンタイの境を通り、また東から西に流れるシドン川の源まで達していた。レーマン人とニーファイ人はこのようにして分かれていた。

アルマ書22:27

紀元前約九十年から七十七年に至る


ゼラヘムラの地は南方の地にありました

  32  さて、東の海から西の海までは、バウンティフルとデソレションの地の境界線上をニーファイ人が一日半旅をすれば行けるわずかな距離であった。このように、ニーファイの地とゼラヘムラの地はほとんど海に囲まれており、北方の地と南方の地の間には小さい地峡があった。

アルマ書22:32

紀元前約九十年から七十七年に至る


ゼラヘムラはシドン川のそばにありました

  10  さて、その戦争は、シドンの水のそばにあるゼラヘムラの境で始まった。

モルモン書1:10

紀元前約九十年から七十七年に至る


説明

モルモン書に於けるアルマ書の22章では、地理についての記述が節27から始まって描かれていますので、最後まで読まれることをお奨めします。ゼラヘムラの町はニーファイ人の首都でした。その町の周囲はゼラヘムラの地と呼ばれていました。上記の一節27によるとゼラヘムラの地は南方の地にありました。そしてその地は九州にありました。モルモン書1:10によるとそれはシドン川のそばにありました。そしてその川は現在の筑後川です。


結び

その昔ニーファイ人が住んでいたゼラヘムラの地は筑後川に面した筑紫平野にありました。付属の「地図三.モルモン書の地」を参照してください。





現在のゼラヘムラの地にあるシドン川

(筑後川、久留米市の近くに) 2006年