地理の証拠二十一

ニーファイ人の領土

 

参照

ニーファイ人とレーマン人の境界線

7  そしてモロナイは、軍隊を東の荒れ野に行かせた。そこで、彼らは出て行って、東の荒れ野にいたすべてのレーマン人を、ゼラヘムラの地の南にある彼らの土地へ追い払った。

8  ニーファイの地は、東の海からまっすぐ西の海に及んでいた。

9  さて、モロナイは、彼らの所有地の北方にある東の荒れ野からすべてのレーマン人を追い払うと、ゼラヘムラの地とその周辺の地に住む者たちを東の荒れ野に行かせ、海岸に近い地方までやって、その地に住まわせた。

10  彼はまた、南方の彼らの領土の境に軍隊を配置して、軍隊と民が敵の手から守られるように幾つものとりでを築かせた。

11  このようにして、彼は東の荒れ野のレーマン人のとりでをすべて断ち切り、また西の方でも同様にして、ニーファイ人とレーマン人の間の境界線上をとりでで固めた。この境界線はゼラヘムラの地とニーファイの地の間にあり、西の海からシドン川の源の付近を走っていた。ニーファイ人はその北方の全地を、すなわち、バウンティフルの地の北方にある全地を自分たちの好むままに所有した。

アルマ書50:7−11

紀元前七十二年




説明

    この上記の節によると紀元前七十二年にニーファイ人の領土とレーマン人の領土は分けられました。アルマ書50:8によるとその領土は直線で分けられました。節11によるとニーファイ人の領土はこの線の北側を所有しました。 その境界線の位置は地理の証拠二十三の中に定められました。



結び

紀元前約七十二年にニーファイ人は筑後川の筑紫平野とその北の方の地に住んでいました。付属の「地図三.モルモン書の地」を見てください。