地理の証拠十九
リーハイの地
参照
10 ところで、南の地はリーハイ10と呼ばれ、北の地はゼデキヤの息子にちなんでミュレクと呼ばれた。主がミュレクを北の地へ導き、リーハイを南の地へ導いてこられたからである。
ヒラマン書6:10
紀元前約二十年
説明
関門海峡の南方の地について、モルモン書の中ではリーハイの地はただ単に「南方の地」と呼ばれていました。
結び
ニーファイ人は九州をリーハイの地や南方の地と呼びました。
付属の「地図二.モルモン書の約束の地」を見てください。
10 他にもリーハイという地は存在しました。その小さな地はリーハイという町に囲まれた地方でした。アルマ書50:25と地理の証拠三十三を見てください。