地理の証拠八

リプリアンクムの湖に近いクモラの地

 

参照

3 さて、第四十六年には、ひどい争いと多くの離反があった。そのために、ゼラヘムラの地を去り、北方の地へ行ってそこに住もうとした者が非常に大勢いた。

4 彼らは非常に遠くまで旅をし、幾つもの大きな湖沼と多くの川のある所に着いた。

5 そして、彼らはその地の全域に広がった。以前にその地に住んでいた多くの者のために荒らされておらず、樹木もなくなっていない方々の地方に広がった。

ヒラマン書3:3−5

紀元前約四十六 年



2 そして、わたしモルモンは、レーマン人の王に手紙を書いて、クモラと呼ばれる丘に近いクモラの地に民を集め、そこでレーマン人と戦えるようにするのを認めてほしいと頼んだ。

3 そこで、レーマン人の王はわたしが求めたことを認めてくれた。

4 そこで、わたしたちはクモラの地に進軍し、クモラの丘の周りに天幕を張った。その丘は多くの水と川、泉のある地にあった。わたしたちはここで、レーマン人に対して優位に立てることを期待した。

5 三百八十四年が過ぎ去ったとき、わたしたちは民の残っている者を全員クモラの地に集め終えていた。

6 そして、わたしたちが民を全員一団としてクモラの地に集め終えたとき、見よ、わたしモルモンは老いが進んでいた。わたしは、これが自分の民の最後の戦闘であることを知っており、また、先祖から伝えられてきた神聖な記録をレーマン人の手に渡してはならないと主から命じられていたので(レーマン人はそれらの記録を損なうからである)、わたしはニーファイの版からこの記録を作り、主の手によってわたしに託されたすべての記録をクモラの丘に隠した。そして、このわずかな版だけを息子モロナイに渡す。

モルモン書6:2−6

紀元三百八十五年



ラマの丘とクモラの丘は同じ丘でした

8 そして、彼はリプリアンクムの[海]6 に着いた。リプリアンクムとは、広大な、すなわち、すべてをしのぐという意味である。彼らはこの[海]に着くと、天幕を張った。シズもまた彼らの近くに天幕を張った。そして翌日、彼らは戦いに出た。

9 そして、彼らは非常に激しく戦い、コリアンタマーはまた負傷し、血を失って意識をなくした。

10 さて、コリアンタマーの軍隊はシズの軍隊を攻め立てて打ち負かし、彼らを敗走させた。そして、シズ7 の軍隊は南方に逃げて、オーガスと呼ばれた場所に天幕を張った。

11 そして、コリアンタマーの軍隊は、ラマの丘の近くに天幕を張った。その丘は、わたしの父モルモンが主に託して神聖な記録を隠したあの丘である。

エテル書15:8−11



説明

(1)推理するとヒラマン書3:4とモルモン書6:4は同じ場所を指摘しています。クモラの地には多くの水と川と泉がありました。

(2)その地は北方の地にありました。(参照:ヒラマン書3:3−4)

(3)クモラの地はゼラヘムラの地より遠方にありました。(参照:ヒラマン書3:4)

(4)クモラの地はニーファイ人が大きな戦闘の間にレーマン人によって全滅した地でした。クモラの地にあるクモラの丘にニーファイ人の記録は隠されました。

(5)ラマという丘はリプリアンクムの湖の近くにありました。(参照:エテル書15:8−11)さらにエテル書15:11とモルモン書6:6で述べているラマの丘とクモラの丘は同じ丘です。

(6)ですからクモラの地はリプリアンクムの湖の近くにあります。そしてクモラの丘はクモラの地の中にあります。


結び

    地理を知る上で重要な地であるクモラはリプリアンクムの湖の近くにありました。そしてその地は北方の地にありました。

6 地理の証拠七の補注5を参照してください。

7 シズとコリアンタムというヤレド人の男の人は敵対の将軍でした。