地理の証拠四十八

ニーファイの町

 

参照

5  さて、主はわたしニーファイに、彼らのもとを去って荒れ野へ逃げるように、またわたし​とともに行きたい者も皆、そうするように警告された。

6  そこでわたしニーファイは、自分の家族と、​ゾーラムとその家族、兄サムとその家族、弟のヤコブとヨセフ、わたしの姉妹たち、そのほかわたしとともに行きたい者たち全員を連れて出た。わたしとともに行くことを望んだ者たちは皆、神の警告と啓示を信じる者たちで​あったので、わたしの言葉に聞き従った。

7  わたしたちは天幕と持てるものをすべて携えて、幾日も荒れ野を旅した。そして、幾日​も荒れ野を旅した後、わたしたちは天幕を張った。

8  そして、わたしの民がその地をニーファイと呼ぶことを望んだので、わたしたちはその​地をニーファイと名付けた。

9  また、わたしとともにいた者たちは皆、自分たちをニーファイの民と呼ぶことにした。

ニーファイ第二書5:5−9

紀元前約​五百八十八​年から五百五十九年に至る



27  ところでわたしは、ニーファイの地へ帰ろうとして荒れ野へ行ったある人々のことについて、少々述べたい。自分たちのかつての受け継ぎの地を手に入れたいと思った者たちが、大勢いたので​る。

オムナイ書27節

紀元前約百三十​年



3  それで彼らは、荒れ野に逃げ込んで、八日間旅をした。

モーサヤ書23:3

紀元前約百四十五​年から百二十一​年に至る



19  さて、彼らはその地で非常に栄え、その地をヘラムと名付けた。

モーサヤ書23:19

紀元前約百四十五​年から百二十一​年に至る



20  そこで、アルマと彼の民は荒れ野に出て行った。そして彼らは一日中旅をして、ある谷​に天幕を張った。彼らは、アルマが荒れ野の中で彼らを導いたので、その谷をアルマの谷と​名付けた。

モーサヤ書24:20

紀元前約百四十五​年から百二十​年に至る



25  そして彼らは、十二日間荒れ野を旅した後、ゼラヘムラの地に着いた。モーサヤ王は喜んで彼らを迎え入れた。

モーサヤ書24:25

紀元前約百四十五​年から百二十​年に至る



説明

   ニーファイの町(または、リーハイ·ニーファイの町として知られています) はニーファイの地(歴史の証拠三十五)の中にありました。かつてニーファイの町からゼラヘムラへ逃亡したアロンの人々が新しく居住した場所はニーファイの町から8日間離れた場所でした。(参照:モーサヤ書23:3)その場所の名前はヘラムでした。(参照:モーサヤ書23:19)ヘラムからゼラヘムラへの旅行は全部で13日間を要しました。(参照:モーサヤ書24:20、25)この旅はニーファイの町からゼラヘムラの町へ歩行で21日の旅程でした。

     ニーファイの町はおそらく熊本県の山地の球磨郡(歴史の証拠三十五)人吉盆地にあったと思われます。歴史の流れにつれてニーファイの地が拡大して行きましたが、この盆地は以前のニーファイの地の位置だったと思われます。ニーファイ人は紀元前580年から紀元前210年までにこの土地を所有していました。その後レーマン人の領土になっていました。これらの日付については歴史の証拠一の説明の5番目に情報があります。

 人吉盆地は球磨盆地としても知られています。盆地底の標高は100~200メートルです。球磨(くま)川はその盆地の中から東西に流れています。人吉市から福岡県の久留米市への距離は、約160キロです。



図一.十三 ニーファイの町




図一.十四 人吉盆地の地形





結び

    ニーファイの町は人吉盆地にありました。